クリエーティブディレクターとして数々のグラフィック広告やテレビCMを手がけるほか、テレビ番組の司会やアーティストとしても活躍する箭内道彦氏。昨年は故郷の福島が被災し、支援活動に奔走。年末の紅白歌合戦に「猪苗代湖ズ」として参加し、継続的な被災地支援を訴えた。さまざまな活動を通して感じた消費者の心の動き、企業の目立った取り組みなどについて聞いた。
本来持っている考え方や能力が試された年
――昨年はどのような年だったと振り返りますか?
故郷の被災を知ってから、僕は自分が変わったと感じていました。以前は「福島が嫌いだ」と公言していたのに、サンボマスターの山口隆君らと組むバンド「猪苗代湖ズ」で「I love you & I need you ふくしま」という曲を発表して、義援金や支援物資を届けるために奔走し……。でも、ある程度時間が経過して気づいたんです。変わったんじゃなく、もともと持っていた感情が「露呈」しただけなんだと。心の底で福島を愛していたと言い切る自信はないけれど、5年前に初めて「嫌いだ発言」を公の場でして以来、長く顧みていなかった故郷と真正面から向き合い始めたのは確かです。
その僕が、一時的な支援に終わらせない決意から「福島と結婚します」と宣言した。世の中的にも3・11以降結婚が増え、一方で離婚も増えたと聞きますが、本来の自分を見つめ直したことの一端だと思うんです。照れや、取り繕いや、ガマンに隠れていたものが表出し、感情にブレーキをかけなくなった。それは、国や他人の判断だけでは追いつかないことが次々と起こった結果だと思います。企業もしかりで、理念や能力が問われ、試され、暴かれた年でした。
――企業活動ではどんなことが印象に残っていますか?
震災後、メディアなどでさかんに取りあげられたのは、企業や企業のトップが「いくら寄付をした」という話題で、それはもちろん評価されてしかるべきです。ただ、それは野球のピッチャーでいえば先発選手で、試合の経過を冷静に見て、万全の体勢を整えて登板する中継ぎ、さらには抑えの役割もあって、僕自身はそうした活動をする企業に対して心強く思っていました。紅白歌合戦で「まだ何も終わっていない」とコメントさせていただきましたが、ほんとに長いスパンで取り組んでいかなければならない問題なので……。
例えばトヨタは、春先からしばらく広告活動を控えている印象がありましたが、秋口あたりから震災後の日本を意識したメッセージを発信し、エコカーなどの商品ばかりでなく、コミュニケーションにおいても社会的責任を自覚していると感じました。
――被災地支援や日本再生に結びつく消費や行動をしたいという人も多いと思います。企業はどう対応していくべきでしょうか。
難しいのは、そうした声に応えようとすると、「偽善だ、売名だ」とか、「余計なお世話だ」と言われてしまうこともある。僕のボランティア活動や猪苗代湖ズの活動にもそうした反応はありました。支援物資の一つとして化粧品を届けたら、「まずは水や食糧だろう」、被災地で演奏したら、「音楽なんて必要ない」などと。でも、その一方で、いちばん喜ばれた支援物資は化粧品だったし、「あなたたちの演奏を待っていました」と言ってくれる人が大勢いた。となると、その人たちのために批判をおそれたりひるんだりしないことが大事だと思うんです。
福島県いわき市にある日産の工場は、ゴーン社長の指揮のもと、震災後いち早く稼働を再開しました。その時、工場の人たちと話す機会があって、「ほかの小さな会社が再開できない中、うちだけ動き始めて申し訳ない」と言うんです。人の良さということは別にして、後ろめたいと思うことの「ロス」が、もったいないなと。今の世の中は、SNSなどを通じてたやすく文句や批判が出てきます。そうした中で万人を満足させ、圧倒的な支持を得るというのは難しい。むしろ、支持してくれる人の声を信じて事に当たっていく明確な意志が必要なんだと思います。
――2011年、生活者はどのような消費マインドだったと振り返りますか?
どうしても震災の話になってしまいますが、僕は、震災後に「自分には何もできない」と無力感にさいなまれている若者たちがすごく気がかりで、支援に携わる者として、「支援する個人や企業を支援することも支援になる」と言っていました。消費も、LED電球やエコカーなど「世の中のためと実感できる消費」が、心の安寧のために求められている気がします。
一方で、あっけらかんと日常生活を楽しんでいる人たちもいました。震災から2カ月後くらいに九州に行ったら、地元の人たちがやたらと明るい。東北とのギャップに一瞬戸惑いましたが、「いやいや、この土地まで暗くなったら、誰が東日本を支えてくれるんだ」と。いちばんいいのは、なんでもない人が明るく暮らすことなんですよね。その時、例えば一杯のラーメンをおいしく食べるなら、「笑顔で食べることで日本が明るくなる」と思ったらいい。
実際、今の消費者は、企業、商品、広告、あらゆることに理由や物語を探し、読み解こうとしています。僕が手がけたパルコの広告も、キャッチコピー「LOVE HUMAN.」は震災前からのものでしたが、深読みしてくれる人が増えています。つまり、人や時代や自身をしっかりと見つめて商品やコミュニケーションに向き合ってきた企業は、変わらなくてもこれまで以上に価値を見つけてもらえる可能性が高まっている。そう信じていい時代ではないかと思います。
新聞広告は、政見演説や選挙ポスターみたいなもの
――マスメディアの方向性についてどのように考えますか? また、新聞や新聞広告の特性や方向性についても聞かせてください。
マスメディアも、人々の「読み解く力」を信じて、より踏み込んだ論調、際立った個性を追求していいと思います。テレビはそれが進んできている感じがしますね。おかしな情報があったらネットを通じて大いに指摘され、いい情報を発信すれば、これまで以上に意味を見つけてもらえる。マスメディアのこれからは大いに期待できると思います。
新聞の魅力は、必ずしも自分にとって興味のない情報も載っていること。ネットで目的の情報だけ検索するよりも、ずっと世界が広がります。新聞広告についていえば、候補者の政見演説や選挙ポスターみたいなものかなと。商品を買う行為が投票だとすれば、「投票の理由」をこれまで以上に読み解こうとする人たちに何をメッセージすればいいのか。そこが一つの考えどころかもしれません。
――朝日新聞に掲載された各企業の正月広告の印象は?
試練を経た新年の幕開けに、どの企業も「読者と共に生きよう」という思いを、丁寧に表現に込めていて、いい意味で全体のトーンが似ていた気がします。新聞紙上できちんと意思表明をしようという志ある企業たちの姿勢に、なんだかホッとしました。かつて、いかに違和感を作るか、いかに記事より目立つかという基準で新聞広告を作ってきた僕としては、紙面の一体感が心地よいと思える年があるのだと、自分でも発見でした。「嵐」と日本の自然のコラボ企画もよかったですね。僕らが担当したパルコの広告もあってうれしかった。正月広告に手がけた広告がないとさみしいんです(笑)。
――作ってみたい新聞広告は?
日頃新聞を読んでいない若い人たちが、わざわざキオスクや新聞販売所に行って手に入れようとするような新聞広告。朝日新聞は、福山雅治さんや「嵐」を登場させた広告特集で経験していると思いますが、そこからさらに、「本命じゃない紙面も面白かった」「新聞がある暮らしってドキドキして楽しいかも」と感じてもらえるような仕掛けを考えてみたい。紙質やにおいを含めて印刷媒体としての新聞の存在感はいいもので、毎日リアルな「モノ」に触れる行為自体、大事だと思っています。広告クリエーターは、新聞の印刷技術に挑みつつ、その技術を押し上げるような難しい原稿をどんどん提案しないといけませんね。
――今後の活動の抱負について聞かせてください。
「箭内さんの作る広告は、全部一緒だけど、全部違う」と言われたい。根っこは一つで、出てくる表現はそれぞれ違うぞと。根っこになるものは、実は多くの企業と共有できると思っています。商品がビールだったら、広告の主眼はおいしさかもしれない。自動車だったら、走りや安全性かもしれない。ただ、どんな商品もそもそもは創業者の「人々の幸せのため、豊かな暮らしのため」という願いがあったはずで、それを共有できる企業と仕事をしたい。ただ、言葉にすると、「明るい未来」だとか「楽しい生活」だとか、ボーッとしていると通過してしまうような当たり前のことなので、そこにどう力を持たせることができるか、難しくもあり、やりがいもあります。
僕はいろんな活動をしてはいますが、とにかく本拠地でがんばることが、故郷への何よりの貢献だと考えています。ですから、バシッといい広告を作ります。昨年経験したことは、きっと表現にフィードバックされるはず。これからどんな広告を作れるのか、自分でも楽しみです。
クリエーティブディレクター
福島県郡山市出身。1964年生まれ。主な仕事に、タワーレコード「NO MUSIC,NO LIFE.」、ゼクシィ「Get Old with Me」、東京メトロ「TOKYO HEART」「TOKYO WONDERGROUND」、サントリー「ほろよい」、ケイリン2011、グリコ「ビスコ」、桃屋「味付榨菜」「辛そうで辛くない少し辛いラー油」、パルコ「LOVE HUMAN.」など。また、同郷のアーティストたちと4人で組んだバンド「猪苗代湖ズ」で、その収益全額を福島県の義援金にすべく『I love you & I need you ふくしま』をリリース。