日本の家計所得が減少する中、消費動向にどのような変化が起きているのか。消費者のニーズに応え得る企業活動やコミュニケーションの新しい方向性とは? 中央大学ビジネススクール(大学院戦略経営研究科)の田中洋教授に聞いた。
イノベーションと「消費の様式」をつくり出す構想力が求められている
――昨今の消費動向をどう見ていますか。
昨年は震災の影響で一時的に消費が鈍りました。しかし、東北を中心に復興需要が拡大し、全国的には、パソコン、スマートフォン、デジタル家電などの市場が早い回復を見せたほか、寒い日が続いた年末には衣料品の売れ行きも好調でした。とはいえ、日本の家計所得はこの10年間下がり続けています。2000年と2010年で対比してみると、総務省の家計調査からは、中間層と低所得層の家計支出がより大きく低下し、結果として富裕層との格差が広がっている現実がうかがえます。同調査で収入別の消費支出を見ると、例えば婦人服にかけるお金は、低所得者層は35%減、中間層は25%減、富裕層は28%減。外食費は、低所得者層は9%減、中間層は12%減、富裕層は4%減。旅行宿泊費は、低所得者層は30%減、中間層は19 %減、富裕層は3%減。全体的に減少しているので、単純に「二極化」とは言えません。富裕層は支出の減少率が低く、ことに彼らの宿泊費に象徴される旅行の消費はそれほど落ち込んでいません。市場を見ても、百貨店で高級品がよく売れ、数千万円する外国車が多くの予約を集め、プレミアム化粧品が好調を維持しています。一方で、ファストファッションが客を呼び、80万円を切る軽自動車がシェアを広げ、廉価化粧品が売れています。こうした状況は、富裕層が高価格帯商品を買い、中間層・低所得者層が低価格帯商品を買い、中価格帯商品が売れなくなっていることを物語っていると思います。
――人々の消費マインドをどのように分析しますか?
今年初めのニューヨーク・タイムズ(電子版、2012年1月6日付)に、「日本は失われた20年と言われるが、なお長寿国で、インターネットのインフラも整い、いろんな意味で高い生活レベルを維持している。アメリカは日本をモデルとするべきだ」("The Myth of Japan's Failure”)といった論調の記事が掲載されているのを読みました。確かに日本人の生活は、不況と言われる中でもある程度満たされているように思います。原発事故で避難している被災者ですら避難先で「買いたい物がない」と言うのを私は直接聞いています。消費者の目が肥え、少しばかり奮発したところで満足できなくなっていることもあると思います。では、どうしたら満足感を得る消費につながるか。興味深い現象としては、「省く」「グレードを落とす」といった方向性です。例えば、富裕層に人気のある温泉宿は、部屋にテレビがないということが一つの売りになっています。成功したIT企業の社長が好んで着る服はTシャツとジーパンで、実は高級ブランドやヴィンテージものだったりします。満足の基準が、かつてのような「豪華さ」ではなくなっているのです。
――消費者のニーズに応え得る企業活動について、どのように考えますか?
一番は、イノベーションだと思います。人々の生活を一変させるような商品の提案です。iPadやスマートフォンなどは健闘しているほうですが、大昔の洗濯機やテレビ、登場した頃のウォークマンなど、「買えば生活が良くなる、楽しくなる」と、誰もが期待してこぞって買いに走るような商品はしばらく生まれていません。単に「便利になった」「おいしくなった」ということではなく、生活のパターンをガラリと変えてしまうような商品が待たれます。
もう一つ大切なのは、「消費の様式」をつくり出す構想力です。好例として挙げられるのが無印良品の戦略です。無印良品の基礎を作ったのはセゾングループを率いていた堤清二氏です。堤氏たちが当時アメリカでトップの量販店「シアーズ」を見学したときのこと。商品のカメラを見て、「日本で売られるカメラは、500分の1のシャッタースピード機能がついている。シアーズは125分の1の機能で十分だと考え、カメラを解体しシャッタースピードを落として大量販売している」と知り、この「そげ落とす」発想を無印良品に持ち込みました。つまり「過剰な品質はなくていいので、その分安く」という発想です。その価値観を貫くことで、食品、家電、家具、住宅など、どんな商品を提案しても受け入れられています。一つの「消費の様式」をつくり上げたわけです。米国ではアップル社に似たものを感じますが、こうした発想を持ったマーケターは日本に少ない気がします。満足感につながる新しい消費として「省く」「グレードを落とす」という方向性について先述しました。商品の提供側も、単に性能が優れた商品を提供するというだけでなく、新しい生活様式を生み出すということを考えてはどうでしょうか。
商品づくりの思想、商品が生まれた背景をいかに伝えるか
――企業のコミュニケーションのあり方について、聞かせてください。
ベースとして商品にイノベーションがあって、「なぜこの商品をつくろうとしたのか」という根本的な思想を伝えることが重要だと思います。かつて1984年にアップル社が、映画「エイリアン」を作ったリドリー・スコットを監督に起用し、「IBMの市場支配への挑戦」をイメージさせる「1984」というテレビコマーシャルを製作して反響を呼びました。既存市場を壊して新しい価値観を持ち込んでやろうという「反体制的スタンス」に、人は心揺さぶられるものです。しかし、日本ではこうした反体制的ブランドは絶えて久しいように思います。
――マス広告の役割についてはどのように考えますか。
食品や日用品など、低価格で購買頻度の高い商品は、どんなに経済が落ち込んでも売れ続けます。そうした商品を広く知らしめる役割を担ってきたのがマス広告です。こうしたリーチを稼ぐマス広告がネット広告に代替されることは今後もないと思います。その一方で、街やネット上での店舗露出を高めて消費者を獲得する「プラットフォーム型ビジネス」……スターバックス、楽天、アマゾンなど、マス広告に軸足を置かないビジネスも生まれました。私は、こういった企業が積極的にマス広告を展開するようになると、新しいコミュニケーションの開拓につながる可能性があると思っています。
――朝日新聞の正月広告について、感想をお願いします。
企業がどういう問題意識を持って商品づくりやコミュニケーションに取り組んでいるのか。そこに注目して正月広告を見ました。例えばトヨタは、若い人が車を欲しがらない、それどころか自動車免許すらも取ろうとしない風潮を深刻に受け止め、キャンペーンを展開しています。日産は、地球温暖化に危機感を持ち、CO₂排出ゼロの電気自動車をアピールしています。商品の背景にある社会問題を真正面から受け止め、コミュニケーションに反映させている企業に好感を持ちました。
――マーケティングやコミュニケーションの今後については。
以前アメリカに滞在したときに実感したのですが、アメリカでは広告会社の役割が変化しつつあります。というのは、企業のコミュニケーションスキルに対する考え方のほうが先を行っていて、宣伝部に有能なクリエーティブ部隊も持って、企業理念や商品に込めた思いをみずから巧みに情報発信しているのです。そうした動きは日本でも少しずつ進んでおり、新しい潮流になっていくと思います。広告会社が向き合わなければならない課題であることは言うまでもありません。
中央大学ビジネススクール(中央大学大学院戦略経営研究科) 教授
1951年名古屋市生まれ。博士(経済学、京都大学)。電通マーケティングディレクター、法政大学経営学部教授、コロンビア大学客員研究員などを経て、2008年から現職。主著に『消費者行動論体系』(中央経済社)、『現代広告論』(共著、有斐閣)、『広告心理』(共著、電通)、『欲望解剖』(茂木健一郎との共著、幻冬舎)、『企業を高めるブランド戦略』(講談社現代新書)『大逆転のブランディング どん底から成長した13社に学ぶ』(講談社)などがある。