ニューロマーケティングをはじめ新しいマーケティング手法の活用が世界的に拡大している。新しい手法により何を知ることができ、どうビジネスに応用できるのか、博報堂研究開発局の小野寺健司氏、コンサルティング局ディレクターの田邊学司氏に聞いた。
科学的調査で潜在意識、非言語領域をとらえる
──新しいマーケティング調査が注目される背景と、具体的な手法について教えてください。
消費者は自分の心理の動きを完全に自覚しているわけではなく、日常的な行動、選択の多くは無自覚に行われています。ハーバード大学名誉教授で『心脳マーケティング』の著者、ジェラルド・ザルトマン博士は、「人間は、自分自身の意識の5%しか認識していない。残る95%のほうが我々の行動に関係している」と述べています。
従来のマーケティングは、例えば、消費者が陳列棚の前に立って商品を選ぶまでの一瞬を振り返り、「なぜその商品を選んだのか?」と分析する場合、対象者の言語領域、顕在意識に問いかけて回答を得る定性・定量調査を行ってきました。ただ、調査の結果と売り上げなどのマーケットの反応が合わないこともあり、それが80~95%位ともいわれる無自覚や潜在意識と関係しているのではないかという視点が生まれました。
具体的には、ニューロサイエンス(脳波、脳血流など)、認知心理学(ZMET※、レスポンス・レイテンシー※など)、行動観察(アイトラッキング※、エスノグラフィー※など)といった、潜在意識、非言語領域分野における調査を行い、商品や広告に対する感情や印象をとらえようとするものです。これらは従来手法を代替するものではなく、むしろ融合させることで、人間の行動・意識への洞察がより深まると思われます。※下図参照
非言語領域への3つのアプローチ
──その中でもニューロマーケティングとはどんなものですか。
ニューロマーケティングは、脳がどのように広告、ブランド、商品などに反応するかについて理解するためのマーケティング手法で、進展の背景には、脳科学の計測技術の進化があります。主な手法は、EEG調査(脳波)とfMRI調査(磁気共鳴機能画像法)です。
EEG調査は、頭皮の電位を1/1000秒単位で測定でき、脳が「いつ活性化したか」をリアルタイムで計測。部位の特定はfMRIと比較して精度が劣りますが、技術によっては推計が可能です。被験者が刺激情報を見た時、脳の前頭前野(情報を統合して注意を喚起)、頭頂連合野(距離や空間を把握)、側頭連合野(物体や聴覚の認識、また記憶にも関わる)、視覚野(視覚情報)、運動野(身体を動かす感覚をつかさどる)、感覚野(身体感覚を得ている感覚をつかさどる)などの部位のどこがいつ反応しているかを推測します。脳でいつ何が起きたかを知るわけです。
EEGの適用例としては、テレビCM評価(CMのどの段階で脳の関心を強く得ているかなど)、商品のオケージョンクライマックス評価(数ある商品の利用状況のうち、どの瞬間が一番『シズル』を感じているかなど)、デザイン評価(パッケージ、自動車や建築物、空間などの映像に対し、脳のどの部位が活発化しているかなど)、テレビ番組・映像コンテンツ評価(映画や番組のどの瞬間に最も脳が活性化するか、沈静しているかなど)、買い物行動時の反応評価(店舗での買い物客の心理・意識の映像化、またはモバイル機器での測定によりどの商品やディスカウント情報に反応しているか)などがあります。
fMRI調査は、脳血流や脳代謝の変化に依拠した脳活動の計測方法で、映像などの提示刺激を見る前と見た後の脳波の反応を計測し、「どこの部位の神経細胞が活性化したか」を高精度に特定することができます。例えば、「前運動野」の細胞は、他者がある行為をするのを見ている時に、あたかも自分も同様の行為をしているかのように共感する場合に反応するため「ミラーニューロン」と呼ばれ、ミラーニューロンが活性化する映像をテレビCMに活用するなどの応用が考えられます。脳のどこが反応しているか、その部位が示すものをより深く知ることができます。
──ニューロマーケティングに対する国内外の活動や施策について教えてください。
国内では2009年、脳科学者や企業の研究者などが参加して、経済産業省・NEDOによる「脳科学の産業応用に関する調査事業委員会」が開かれました。脳科学技術の産業応用について慎重な科学者もいる中、さまざまな角度から知見を持ち寄り検証していこうというものです。2010年10月には、博報堂を含む企業約20社、NTTデータ経営研究所、日本神経科学学会などが連携して「応用脳科学コンソーシアム」を立ち上げ、脳神経科学や認知心理学などのビジネス応用を進めています。
また2009年にはニールセン社がニューロフォーカス社の広告調査手法を採用しニューロ・マーケティング・サービス開始を発表、日本でもニールセン社が、広告・ブランディング施策評価サービスの提供を開始しました。2010年には大日本印刷がヘアバンド型脳波計による記事関心度調査を開始しました。ニューロマーケティングの世界的カンファレンスも2009年にポーランドで開催されています。
蓄積した知見を企業の戦術・戦略に役立てる
──新しいマーケティングに対して博報堂はどう取り組んでいますか。
2005年から海外の企業とEEG調査やfMRI調査についての情報交換を開始しました。さらに2006年には世界規模のニューロ調査計画に、資金・設計の両面で参画。2009年には、アメリカのニューロマーケティングを含む非言語領域を専門とするリサーチコンサルティング会社『Buyology Inc.』と資本提携し、脳神経科学や認知心理学、文化人類学などの多角的視点から、非言語領域の「見える化」を試みる「ブレイン・ブリッジ・プログラム」を開始しました。
ニューロサイエンスは、調査のやり方や調査結果の解釈をめぐりさまざまな学説や「流派」があるのですが、当社は、測定器の開発技術者、技術を使って研究を進めているリサーチ会社、脳科学者や医師など、複数の方面に見解を求めながら、EEG調査やfMRI調査を複数行い、知見を蓄積してきました。現在はこうした知見をもとに、ビジネスにどう応用していくかという段階に入っており、従来調査の補完的調査や広告制作への反映など戦術的活用にとどまらず、企業のブランディングなど戦略的活用にも生かしています。
ニューロマーケティングに対するクライアントの興味は、商品開発寄りの場合もあれば広告寄りの場合もあり、業種によってさまざまです。共通しているのは、ニューロを使うことが目的ではなく、従来にない効果的な手法があればぜひともブランド育成に役立てていきたいという思いで、そうしたニーズに適切に対応していければと考えています。
──実際にニューロマーケティング手法で調査をした結果はどうでしたか。
EEG調査の例をあげますと、2009年に中国人を対象に中国でオンエアしているキヤノンのテレビCMへのことばにならない感情変化を理解するため、脳波を測定しました。オンエア後のグループインタビューでのCM評価は「共感した」という声が多く、覚えている映像についてはタレント名を挙げる人が多数でした。ところがEEG調査では、カメラマンが被写体を狙っている映像を見た時に、距離や空間を把握する「頭頂葉」が活性化し、アスリートが走る映像を見た時に、身体を動かす感覚をつかさどる「運動前野」が活性化していることなどがわかり、「共感」とひとくくりにされるものが、脳の部位の反応により、広告対象にどのようなエンゲージメントをしているか、絞り込んで推測することができました。また、タレント名や色など、記憶しやすいものが言語化され、従来の調査では結果に表れがちな項目だったということもわかりました。
ブレイン・ブリッジ・プログラムではこのほかにも、先ほど話題に出た手法で、脳科学以外の分野でも非言語領域や深層心理を探る研究を進めています。
──知見を蓄積していく中で、どのような発見がありましたか。
とても重要な発見がありました。人が愛着の強いブランドを見ている時の知覚や脳反応が、宗教的知覚、すなわち、見えない存在である神を想像している時の反応に似ているのではないかということです。しかも反応している部位は「欲求」をつかさどっていると言われ、それはマーケティングの大事な要素でもあります。ブランドと消費者との間に宗教的な関係を結ぶ「芽」を探し、いかに増幅させるかが肝で、関係構築においては「訴求」「伝達」といった一方通行のものではなく、「生起」「醸成」といったことがカギになると考えます。博報堂では、ニューロサイエンスやほかの調査のさまざまな知見、考察をもとに、関係の「芽」を見いだし、増幅させる独自の方法論を整理し、実際のクリエーティブに生かし始めています。
──今後の課題については。
脳科学の活用ということで、倫理的な問題を指摘する声や、「洗脳されるのではないか」という消費者の不安、さらにそうした誤解を避けるため導入に慎重な企業もあります。また、根拠に乏しい俗説も含めて学説が百花繚乱(ひゃっかりょうらん)の様相を呈しており、客観的な見極めが必要です。この点に留意しつつ、世界的に進んでいる研究にブレーキを踏むことなく、ブランド戦略の発展につながる提案をしていきたいと思っています。
博報堂 研究開発局上席研究員/ 明治大学 経営学部特別招聘教授
1975年博報堂に入社後、博報堂アメリカ、マーケティング局などを経て、99年より研究開発局でグローバルマーケティング、五感ブランディング、ニューロマーケティングなどの研究開発プロジェクトリーダーを歴任。著書に『グローバル・ブランド管理』(共著、白桃書房)、『ついこの店で買ってしまう理由』(共著・日本経済新聞社)がある。
博報堂 コンサルティング局ディレクター/ バイオロジー・インク社 取締役
1993年博報堂入社。マーケティング局を経、カナダのRichard IveyにてMBAを取得。帰国後、グローバルMDセンター、ブランドデザイン部にて、プロダクトデザイン、商品開発などを中心にブランディング業務に従事。著書『ブランドらしさのつくり方』(共著、ダイヤモンド社)等。2009年よりバイオロジー社取締役として非言語ブランディングの実践を行っている。