生活者とメディアの質的な関係性に立脚したエンゲージメント(きずな)という考え方が注目されている。とりわけ新聞においては、テーマを深く掘り下げられる媒体特性を生かし、環境、教育、医療・健康の三分野における読者の関心が高い。新聞広告や記事が果たす生活者とのきずな作りの可能性について、各分野に造詣(ぞうけい)の深い生島ヒロシ氏にうかがった。
体験を普遍化して社会につなげる
── 生島さんはeco検定、福祉住環境コーディネーター、ヘルスケアアドバイザーなどさまざまな資格をお持ちですね。
そもそものきっかけは今から10年ほど前、50歳を前にして「このままでいいのかな」といった自分の将来への不安でした。また義母が認知症になり、お金の面で家族のあり方も切実に考えさせられたこともあります。在宅介護の体験が福祉、そして幸せな人生の基本にある健康の大切さに目を向けさせてくれました。自分にとって資格を取る目的のひとつは、そのテーマの基礎や歴史を網羅的かつ効率的に学ぶということです。特に環境や医療・健康のような切り口の番組では、ある程度の知識のベースをもって臨むのが本来だと思っていますから。個人の問題というのは、他の人の問題でもあり、同時代における社会の問題にもつながります。例えば2004年に新潟県中越地震が起きた時、私は新幹線に約6時間閉じ込められました。それを体験談として語ることもできますが、それだけでは災害時にマイクの前にいるかもしれない私の存在意義はありません。自分の体験を普遍化して、じゃあ防災のために何を心掛ければいいのかを伝える、それが新聞の役割だと思います。
人を孤独にさせない社会を
── 医療や介護関係の取材も積極的にされていますが、現場の声にふれて感じることは。
先日も在宅介護の施設で利用者の方たちや介護員さんのお話をうかがったのですが、本当に現場は追い詰められているなと思いました。ただ、「だから国や自治体がもっとサポートしなくてはいけない」と言うはやすしで、介護職の増員や待遇改善は、国民の負担増にもつながる問題です。せめて身も心もギリギリのところで踏みとどまっている方たちの、心のケアができる仕組みができたらと思いますね。例えば皆さんで語り合える場があると、みんな同じ悩みを抱えているんだと少しは心が楽になります。人間って孤独になると、なおさら行き場がなくなってしまうんですよ。これは介護問題だけでなく、病気と向き合っている人たちの「つながり」を応援することも、新聞に期待するところです。
── 大学の客員教授として、教育にも携わっていますが。
若い人を見ていて思うのは、レイトブルーマー(Late Bloomer)、つまり遅咲きの人をもっと受け入れる社会になってほしいということです。大学を卒業したらいい企業に就職するだけが社会人への道ではないはずです。いろいろと寄り道をして見聞を広げ、その後で本当に自分が進みたい道を決めたほうが、企業のためにもなるかもしれません。ただ親として我が子に自由な時間を与えるには、放任ではなく、お互い何を考えるかという相互理解が大切だと思います。心を開いて語り合える、「きずな」を深める時と場を作れるかということですね。我が家の場合、一年に一度、家族旅行に行くんですよ。子供たちへの感動のプレゼントにもなります。
出典としての新聞の高い価値
── 普段、新聞とはどういった付き合い方をされていますか。
私の仕事は新聞様々というところがあるんです。朝のラジオ番組(『生島ヒロシのおはよう定食・一直線』)は、「聴くスポーツ新聞」というサブタイトルがついているくらいで、新聞は記事も広告も毎朝各紙チェックして、政治経済やスポーツ、健康、シニアライフなどさまざまな情報を拾っています。それと私はカリフォルニア州立大学でジャーナリズムを学んだ影響で、「出典」にこだわるんです。ワイドショーをやっていた時も、「これは誰だれさんが言っていたことですけど」と前置きをして、自分の意見とは明確に分けて視聴者に伝えるようにしていました。ネット時代になり、情報の出所や媒体の信頼性がより重要になっている今、情報の信頼性は新聞が守り続けるべき財産だと思います。
── 様々なメディアで長年活躍される生島さんが、新聞と他媒体の違いとして感じることは。
ひとつは各紙の意見が明確で、情報の比較ができるということです。学生時代にアメリカのディベートの文化に親しんだせいか、私は比較というのが好きなんです。一人の人間の体験量というのは限られています。環境や高齢化がさらに大きな問題となる今後、異なる意見や他人の気持ちを知るというのは大切なことです。それが足りていないことが、自分勝手な犯罪が次々と起こっている一因のような気がします。それと、私が新聞で好きなのは、読者の声が載る投書欄です。評論家の意見よりもストレートな実感がこもっていて、「そうそう」と膝(ひざ)を叩(たた)くことが多いですし、自分とは異なる意見にも触発されます。普段何を感じ、社会に何を求めている人たちがその新聞を愛しているかが分かり、彼らと自分との思いの共有、あるいは自分と新聞との「きずな」が感じられるわけです。例えばラジオとテレビでは、接している人の数はテレビのほうが多いでしょう。でもシリアスな内容はテレビと結びつきにくい面もあります。その点、私の朝のラジオ番組はきちんと耳を傾けていただいている実感があります。新聞読者も単なる読者ではなく、社会のさまざまな動きに高い関心をもつ親であり、企業人です。情報の訴求度合いや広告の費用対効果で考えたとき、それは大きなことではないでしょうか。
難しいテーマをやさしく
── これからの新聞広告に関して、期待することをお話しください。
環境シンポジウムの採録やCSR(社会貢献活動)報告のような企画広告は、読む態度ができている新聞の特性が生かされた広告だと思いますし、スクラップして取っておくことも多いですよ。ただ私自身は難しいテーマこそ、ぱっと見た時の気持ちよさというか、キャッチコピーを読んだだけで心に届いてくるような親近感がもっとほしいと思います。昔からテレビの世界には、「キャスターがいくら難しい話をしても、視聴者が気にしているのはネクタイ」といった皮肉な見方もあります。だからこそ私たちは、見ている人の印象に残る一言を大事にするわけです。新聞は読者の知的感度は高いといっても、忙しく働いている人たちがすべての紙面に目を通すとは限りません。新聞の「見出し」という文化が洗練されたのは、そのせいもあるでしょう。結局、私たちメディアがやっていることは、情報を伝えるということだけでなく、情報で人を良い方向に動かす、人を「つなげる」ということだと思います。特に、環境のような分野では、読者が知るだけではだめで、行動につなげていくことが大切です。シンプルで分かりやすく、未来に向けた明るい希望を示し、自分や自分の後の世代とのつながりを強く感じる。そんな新聞広告がもっと増えていくことを期待します。
キャスター、東北福祉大学客員教授
キャスターを務める傍ら、eco検定、福祉住環境コーディネーター、ヘルスケアアドバイザー、フィナンシャルプランナーなど多くの資格を取得。環境、教育、医療・健康、金融分野での造詣が深い。ヒートポンプ・蓄熱普及委員、「金融経済教育懇談会」メンバー