心に届く広告の決め手は言葉 新聞広告じゃないとダメなんです

 新聞広告がもっと元気になるためには、何が必要なのか。企業や広告制作者、新聞メディアが、いま確認すべきこと、取り組むべきこととは何か。話題の新聞広告を数多く手がけているアートディレクターの副田高行氏とコピーライターの前田知巳氏。新聞広告に熱い想(おも)いを込めるお二人に、新聞広告の未来について、語っていただいた。

企業とクリエーターの信頼関係がカギ

サッポロビール「男は黙ってサッポロビール」 サッポロビール「男は黙ってサッポロビール」

副田 今日は新聞広告について語る企画ということで、まずは僕が最初に衝撃を受けた新聞広告の話からします。それは、「男は黙ってサッポロビール」。1970年だから、20歳の時。デザインの仕事を始めたばかりの頃で、とにかくびっくりした。パッケージやロゴすら入ってなくて、広告っぽくない写真もインパクトがあった。

前田 CMもあったけど、平面の印象が強いですよね。

副田 自分がやりたいことはこれだと思ったの。その10年後にサン・アドに入った。開高健さんのキャンペーンをやってた頃。

前田 80年だから、僕は高校生。

副田 若い(笑)。

前田 でも開高さんの広告は印象深いですよ。多感な頃だったし。

副田 そこがすごいよね。僕の世代は普通の高校生が広告に興味を持つなんてことはなかった。

前田 ただ、80年代は糸井重里さんが活躍した時代だから。

としまえん「史上最低の遊園地。」 としまえん「史上最低の遊園地。」

副田 糸井さんの存在は大きい。

前田 衝撃だった新聞広告は僕も覚えていて、90年に大貫卓也さんが手がけた「史上最低の遊園地。」。頭を殴られた気がしました。新聞でやったところもよかった。

副田 僕が若い頃は新聞広告が花形で、特に元旦の企業広告は百花繚乱(ひゃっかりょうらん)だった。資生堂や伊勢丹の広告などメッセージ性のある秀作が多くて、これから始まる一年を予感させてくれた。そういう新聞広告を作りたいと思ったんだよね

前田 僕は、仲畑貴志さんのコピーからすごく影響を受けてるんですが、副田さんにはそういう人はいましたか?

副田 ライトパブリシティーの細谷巖さん、秋山晶さんだね。キユーピーのあか抜けた広告とか、別世界という感じがした。脱・広告というか、文学というか。

前田 きっとトップとの信頼関係がちゃんとしているんでしょうね。

副田高行氏 副田高行氏

副田 広告業界で横行している競合プレゼンなどせず、信頼関係でやっておられる。前田くんと宝島社の関係もそうだよね。僕でいえばシャープとの関係。宣伝部の女性が指名してくれたのが発端で8年間続いている。ブランドというのは続けることでようやく人々に認識されるもの。3年なり5年なり一緒にやっていくパートナーを選ぶための競合ならまだしも、そうでなければ意味がない。

前田 物を売るという役割も広告には当然あるわけだけど、それも含めてクライアントが自らの好みを自覚しているかどうかですよね。好みがないとパートナーも選べない。ちゃんとあれば、好みを理解してくれているクリエーターじゃなければあずけられないってことになる。ブランドがブレないためにもそこが大事だと思います。

副田 点じゃなくて線にならないと。商品戦略にしても、売れないと3カ月で店頭から消されてしまうようなものより、じっくり開発に時間を費やしたものを根付かせていくような戦略に加担したい

前田 わかります。企業の意志がしっかりしているかが重要です。

副田 僕は、宣伝部の人たちにプロになってほしい。シャープの大湊由紀子さんは、宣伝部一筋生え抜きで、広告が大好きだった人なの。だから、一緒に作っている感じがした。サントリーもそう。宣伝部の人間がプロデューサーの役を果たしていた。

前田知巳氏 前田知巳氏

前田 サントリーにはそういう文化があったみたいですね。

副田 何しろ社長が「やってみなはれ」という人だったから。

前田 すばらしいですね。

副田 広告の仕事は、どれだけ情熱を向けられるかだと思う。情熱って個人の中にあるもので、クライアントに同胞がいるか、同じ情熱を持っているクリエーターの仲間がいるか、その結合が大事。僕が前田くんといい仕事ができているのもそういうこと。

前田 僕が初めて副田さんにお会いしたのは、まだ博報堂にいた時。ブリヂストンのスタッドレスタイヤの広告を作るチームにいて、デザインを副田さんが担当されていたので事務所にお邪魔して。

副田 でも採用されなかったんだよね(笑)。雪道に吸い付くタイヤだというんで、タコの吸盤のビジュアルを作った記憶がある。

前田 あと、覚えてます? 松山千春さんの頭の上にタイヤが乗っかってるビジュアル。松山さん北海道の人だし、面白かったです。

副田 ほんと? 忘れちゃったけど、ちゃんとやればどうにかなりそうだったのにね。あの時、前田くん、「コピーについてどう思いますか?」ってすごく真摯(しんし)に聞いてきたでしょう。僕はアートディレクターなのに。だから、この人ちょっと違うなと思ったの。

前田 言葉のことについてすごい感覚をお持ちだとわかっていたし、こんなチャンスはないと。

副田 仲畑さんのとこにいたからコピーにうるさいイメージがあったのかな。前田くんとは以来ずっと会ってなくて、でも宝島社の広告とか、すごいなぁと見てた。

 2003年 9/24 朝刊 日本医師会 2003年 9/24 朝刊 日本医師会

前田 日本医師会の広告までに10年空きました。

副田 電話で依頼をくれた時、僕としては、病院の株式会社化の認識はあまりなかったので、話を聞きましょうと。前田くんと担当者できちんと話されていて、結論を出さなくていい、広告を議論の場にしたいと。

前田 あれは、医師会のキーマンに呼ばれて、2時間くらい滔々(とうとう)と話をされたんですよ。「このままじゃいけないってことはわかってる。どう思いますか?」と。そういう姿勢で臨んでくれたから、これは何かできるかもって思った。で、やるなら言葉でいきたいといわれて、ならば副田さんとなった。

副田 コピーに未来小説的な怖いような凄(すご)みを感じて、小さなサイズだとダメだと思った。制約がなかったからできた広告だね。

前田 副田さんは、メッセージを大事にされてますよね。言葉に限ったことじゃなくて、メッセージは何にでも潜んでいる。そこをわかってない制作者だと、上っ面だけで処理してしまうケースもあると思うんです。

2006年 10/24 朝刊 日本医師会 2006年 10/24 朝刊 日本医師会

副田 僕よりうまいデザインをする人はいっぱいいる。ただ、僕が思うアートディレクターの仕事は、一つのメッセージがどうやったら一番届くかという方法論を探ること。うまいデザインワークをするとか、個性を出すとかいうことじゃない。デザインを感じさせないデザイン。それがデザインだと思うんだけど、気づいている人は意外に少ない。前田くんも同じことをやっているんだよね。クライアントと対面して、何が大事かを掘り起こして代筆する。うまいことを言ってやろうというコピーライターはいるけど、前田くんはそうじゃなくて、企業や商品の社会的な存在価値について、本質的なことを探って言葉を紡いでいる。

前田 僕らの仕事ってイタコに近いですよね。クライアントの話を聞いて、潜んでいる気持ちをくみ取るという。

副田 イタコだね、まさに。ただし、クライアントに主体性がないと難しい。シャープなんて、88年の段階で2005年には日本のテレビを液晶テレビに100%変えるという強い思いがあった。その広告を僕にやってほしいと宣伝部の担当者が、直接言ってきたんだからね。すごいなと思う。

いい広告の源は宣伝担当者の情熱

副田 昔、TOTOがまだ東洋陶器という社名だった頃、宣伝部員が本社のある九州から東京に出てきてライトパブリシティーに広告の依頼をしたという話があるんです。せっかくいい商品を作っているのに広告がうまくないからって、わざわざいい広告を作っている会社を探して訪ねたんだよね。その情熱はすばらしいと思う。

前田 ほんとにそうですね。

副田 その後、宣伝部の後輩が仲畑さんにコピーを依頼して、世間で話題になったウォシュレットのキャンペーンになっていくわけだけど。

前田 情熱を受け継いだ人がちゃんといたんだ。

副田 そう。企業の宣伝部は、そういうDNAを育んでほしい。それがクリエーターに伝われば、よし、いい仕事してやろうという気になる。そしていい循環ができる。

前田 九州といえば、コミュニケーションに対して独特の熱量を感じていて、僕にも福岡市役所の方から直接依頼があったんです。その内容が面白くて、広告ではなく、本来は役所の人間が書くべき文章を書いてくれって。要するに、福岡が新しい街づくりをしていこうという時に、役所内で作る文章がそれについていってないと。だから、自治体、事業者、市民、すべての人が共有できる文章を書いてほしいと。その発想こそクリエーティブですよね。物事が起こる時ってそういう人がいるんですよ。

副田 今はネットで情報を探せる時代だから、広告会社に丸投げではなく、宣伝担当の人自らがいいクリエーターを探してほしいね。

新聞広告はクリエーターを育てる

サントリー「ナマ樽」 サントリー「ナマ樽」

副田 僕は、新聞広告の仕事で自分を発見しました。30歳の時に作ったサントリーの「ナマ樽」の広告。掲載された時は打ち震えるぐらいの感動があった。その思いをずっと抱えてこれまできただけに、若いクリエーターに新聞広告の醍醐味(だいごみ)をわかってほしいし、いい新聞広告を作ってほしい。

前田 そう思います。

副田 新聞広告が一番クリエーターを育てられるんですよ。仲畑さんにしても僕にしても、新聞広告をやったから鍛えられた。今の広告業界は、コピーライターがコピーを書かずに企画をやったり、アートディレクターがCMを作ったりすることが多い。新聞広告がC Mキャンペーンの一部になってしまったりして、グラフィックの熟練が育たなくなっている。そうなると悪循環。

前田 若い人が新聞を読まなくなってきたのも深刻だと思います。僕自身、読者として衝撃を受けたきっかけがあったから今のモチベーションにつながっている。その接点がないといい新聞広告を作りたいという思いにすら及ばない。

副田 それと、新聞広告は高いからと嫌がるクライアントがけっこう多いよね。

前田 多いですね。

副田 前田くんと一緒にやった、学校医の問題を取りあげた日本医師会の広告は、FAXの番号しか載せてなかったのに8,000通もの反響が届いた。いい広告を作れば、新聞広告は効くんですよ、ちゃんと。

前田 朝日新聞が約800万部。数紙をあわせると2,000万部以上の読者がいる。その人たちが同じタイミングで紙面を見る。それって、巨大なスタジアムのアリーナを前にしている状況に近い。そう思うかどうかで新聞広告を作る気持ちも全然違うと思います。

副田 若い人に伝えないとね。

前田 ただ、3年前から朝日広告賞の一般部門の審査委員をやっていますが、そこで見る作品はいいものが多いですよ。あてられるぐらいの熱量を感じます。

副田 僕も朝日広告賞の受賞者。それで仲畑さんに声をかけてもらった。若い人にとっては貴重な場だよね。

前田 僕は、仕事で朝日新聞の広告審査に救われました。宝島社の「おじいちゃんにも、セックスを。」の広告は、朝日が「セックス」という言葉にOKを出してくれたから他の審査も通ったんです。

副田 意外だよね、一番厳しそうなのに。でも、新聞というメディアについて言えば、変わらないといけないと思う。まず紙面のインフラがよくない。統一感がなくて雑居ビルみたいでしょう。アメリカの新聞などは、アートディレクターがフォーマットをデザインしているから、シンプルで読みやすい。日本の新聞は社会の根幹を成しているメディアなのに、それができていない。思えば昔の活字の新聞のほうがおしゃれだった。

2007年 9/9 朝刊 シャープ 2007年 9/9 朝刊 シャープ

前田 副田さんは文字に対する意識がすごく高いですよね。

副田 文字は文化だからね。だから、写植の衰退をすごく憂えたの。写植からMacに移行して10年ぐらいはかなりひどいことになった。僕は汚い文字を使いたくなかったからずっと写植を使い続けたけど。Macの文字しか知らない若いデザイナーは、それが美しくないことがわからない。

前田 以前、広告会社の若いアートディレクターたちと僕と副田さんで一緒に話をしたことがありましたよね。彼らにとっては初めて聞くことばかりだったみたいで、目をキラキラさせてました。副田さんが持っている知識が受け継がれなければもったいないし、そうじゃないとまずいと思いました。

副田 コピーライターにとっても、ひどいデザインをされてしまったら大打撃だもんね。まあ、最近ようやく写植の文字がフォント化されてきて、だいぶん元に戻ってきたけど。

熱量を込めた文字の力、言葉の力

2005年 8/4 朝刊 岩波書店 2005年 8/4 朝刊 岩波書店

前田 僕は、今はパソコンでコピーを書きますが、行替えや言葉の大きさのイメージは自分なりにあるんですよ。

副田 前田くんは明朝とゴシックも書き分けてくるよね。やっぱり優秀なコピーライターは文字のイメージがきちんとある。ただ、岩波書店の広告だけ明朝で書いてきたのをゴシックにしたね。僕も最初は明朝だと思ってたの。でも、いろいろシミュレーションした結果ゴシックに落ち着いた。

前田 そうでした。

副田 コピーライターとアートディレクターが文字のイメージを共有するってとても大事なことだと思う。昔から優れた広告は、秋山さんと細谷さんとか、糸井さんと浅葉克己さんとか、眞木準さんと戸田正寿さんとか、コピーライターとアートディレクターの名コンビから生まれている。使う書体にそれぞれ法則があったりして。

前田 副田さんはメッセージを大事にしてくれるから、今後もいい広告を一緒に作っていきたい。だけど、「これはぜひ副田さんとやりたい」っていう仕事がそうない。

副田 悲しいけど少ないね。

前田 読者の読解力を低く見ているクライアントがけっこう多いんですよ。「これで読者はわかるんですか?」と。コピーが意味するものは何だろうと立ち止まる、そこが言葉の力でもあるのに。でないと単なる説明にしかならない。

副田 一方的な説明なんて聞きたくないのにね。

前田 基本的に、広告を見ようと思って新聞を読んでいる人はいないわけだから、相当な熱量を発してないと目に留めてくれない。

副田 目に留めないものにお金をかけるのなんてもったいないと思う。そういう意味でも、前田くんにはいろんな仕事をしてほしい。前田くんに、好きにやってくれって企業がもっといてもいいんじゃないかな。テーマや商品が、社会が必要としている何かをきちんと持っていることが大前提だけど。

前田 そこが一番大事ですよね。

副田 ところで、何でコピーライターになろうと思ったの?

前田 世代的なこともあるでしょうね。広告がまぶしかったから。

副田 高校の時くらいに広告の道に入ろうと?

前田 いや、その頃は思ってませんでした。チャラい業界というイメージがあって。ただ、広告的なことは好きだったと思う。

副田 小説家にはならないの?

全日空「アホやった。竹村健一」 全日空「アホやった。竹村健一」

前田 広告のダイナミズムが好きなんでしょうね。でも、やり始めてですよ、本当に好きになったのは。たぶん僕のコピーで初めてうまくいった新聞広告は、全日空の広告でした。「アホやった。竹村健一」というコピーで。

副田 そうなんだ。何歳の時?

前田 92年だから、26歳。クライアントからほめてもらったのはそれが初めてだと思う。いっぱい問い合わせの電話があったと。

副田 柴田常文さんのチームにいたんだってね。前田くんが博報堂に入ってきて、他のCDは誰も前田くんを欲しがらなくて、柴田さんはいいと思って選んだって。でも、笠原伸介さんの部署に移ってからブレークしたから頭にきたって言ってた(笑)。

前田 よく言うよね(笑)。でも確かに、柴田さんのチームにいる時は、もっぱらキヤノンのパンフレットを書いてました。

副田 そうなんだってね。そういう時代もあったんだ。

前田 パンフを書くって大事なことだし、勉強になりました。

副田 うん。みんなそういうプロセスがあるんだよね。先日、サン・アドの葛西薫さんと写真家の藤井保さんと、若い頃の写真なんかを見ながらトークショーをやったの。面白いことに、3人ともいろんな偶然が重なって今があるんだよね。それこそカミナリが落ちたような発見があったり、人との出会いで意外な化学変化が起こったり。前田くんも〝前田知巳0になる瞬間があったんだろうね。

前田 その契機は覚えているんです。僕はずっと、コピーを書こうと思っていた。「コピーと普通の言葉は違うんだ」と。コピー年鑑を参考にしたりして。でも、コピーを書こうと思ってる限りダメなんです。それをわかってなかった。

副田 何で目覚めたの?

前田 本屋さんで。ふと、売れてる本のタイトルってどれもうまいな、と思ったんです。人の目をとめる言葉に境目なんかないんだ。そう思って楽になった。

副田 コピーという呪縛から解放されたんだね。

前田 それで、「アホやった。」というコピーが生まれた。あれはタイトルワークのつもりなんです。

副田 確かにコピーっぽくない。

前田 背表紙にくる言葉みたいに、という意識で。それだけに岩波書店の仕事は感慨深かった。その逆をフィードバックしたという。

副田 あの本のタイトルはキャッチコピーっぽいもんね。そう思ったから書体をゴシックにしたの。本の装丁もしたけど、いわゆる装丁デザインをやめようと。装丁がポスターになるようにって。前田くんの話を聞いて、自分と似ていると思った。前田くんの「アホやった。」が僕にとっては「ナマ樽」。当時、湯村輝彦さんや川崎徹さんが活躍されていて、湯村さんのヘタウマ、川崎さんのギャグを見て、アートディレクターの仕事でそれをやろうと思ったの。かっこいいデザインをしようというんじゃなく、デザインをやめて、どうすれば一番メッセージが届くかを考えるべきだと。

企業に知ってほしい新聞広告は効く!

副田 しかし、岩波の広告はコピーもすごいよね。僕は最初、本のタイトルだけでいいと思ってた。そしたらキャッチをよこしてきてびっくり。紙面ではコピーと本のタイトルを分けて配置したんだけど、広告審査で引っかかるかもしれないという話があったんだよね。でも岩波は、これを拒否する新聞なら載せないと言ってくれた。

前田 あれは感動しました。

副田 その迫力が届くんだよね。僕は、このコピーは「19人目のメッセージ」だと思ったんですよ。考えてみれば、本の中身より、コピーのほうが多くの人たちに見られてるんですよ。そこがコピーライターの醍醐味だよね。その認識がないのか、現状に満足しているのか、広告会社の若いクリエーターは、新聞広告に対する思い入れが弱いと感じる。競合プレゼンの連続で鬱屈(うっくつ)しているのかな。で、僕がいろいろ話すと、みんな目を輝かせる。

前田 若いデザイナーが、副田さんと話してインスパイアされたと言ってました。実際その後いい仕事をしていた。

副田 そういう出会いは大事だよね、お互いに。とにかく、競合プレゼンはいろんな意味でよくないと思っていて、特に日本を代表するクリエーターは、競合プレゼンに参加しないでほしい。認めることになっちゃうから。パートナーを選ぶためのプレゼンならいっこうに構わないと思うんだけど。

前田 減る気配はないですね。

副田 大きな仕事は特にね。

前田 副田さん、こういう話を経団連の人たちの前で話したほうがいいですよ。気づいていない人っていっぱいいると思う。

副田 新聞広告の効果を軽視している人もいそうだね。自分が反応しないから効果なんてないんじゃないかと。

前田 でも、新聞を購読していない企業人はほとんどいないと思う。接触はしているんですよ。

副田 アンテナがあるかどうかだよね。「史上最低の遊園地。」で感激できるかどうか。

前田 いま担当しているエン・ジャパンの越智社長は、「読者が“今日見た。”って覚えているような新聞広告を」と言っていました。

2006年 5/16 朝刊 宝島社 2006年 5/16 朝刊 宝島社

副田 そういうことが言えるってすばらしいよね。企業のトップたちに、企業広告は新聞でしかできないと、そこはぜひ強調して言っておきたい。あと、前田くんと僕の2人に任せたい、というクライアントがもっと出てきてほしいね。

前田 確かに、新聞広告でやれることはまだまだあるはずですしね。副田さんとはこれからいっぱい広告を作っていきたい。

副田 前田くん、僕に長生きしてって言うよね。年寄り扱い(笑)。

前田 やっと一緒に仕事ができるようになって、これからですから。宝島社の「団塊は、資源です。」というコピーは副田さんにもかかってますよ。まだ退場しないでって。文字の話一つとっても副田さんの仕事で終わっちゃうのではと不安になることがいっぱいあって、それが途切れないようにしないと。

副田 新聞広告学校でも作ろうか(笑)。広告って、イメージだけじゃダメなんだよね。デザインでイメージは届けられるけど、最後はやっぱり言葉。新聞は言葉を支えるメディアで、だから大事だし、「効かないんじゃないか」という人がいると、悔しいし悲しい。ビルボードの前を通り過ぎる人の数はたかが知れているけど、新聞は何千万人が見る。だからこそ、もっといい広告が作られないといけないし、企業も新聞の威力を思い知ってほしい。そうなれば、新聞広告の未来は明るいと思うね。

副田高行(そえだ・たかゆき)

副田デザイン制作所 アートディレクター

1950年福岡県生まれ。スタンダード通信社、サン・アド、仲畑広告制作所を経て、95年に副田デザイン制作所を設立。主な仕事に、サントリー「ナマ樽」「モルツ」「ウイスキーKONISHIKIキャンペーン」、トヨタ自動車「エコ・プロジェクト」、60社共同声明「日本をほめよう。」キャンペーン、全日空「ニューヨークへ、行こう。」、シャープ「アクオス」など。ADC賞、TCC特別賞、朝日広告賞、読売広告大賞、日経広告賞、日本宣伝賞山名賞など受賞多数

前田知巳(まえだ・ともみ)

フューチャーテクスト コピーライター

1965年熊本県生まれ。博報堂を経て99年に独立、2001年フューチャーテクストを設立。宝島社「おじいちゃんにも、セックスを。」「団塊は、資源です。」、日本医師会「学校医」、エンジャパン「起きろ。大学3年生。」、森ビル「その丘にあがれば、晴れた未来が見渡せる。」など、話題になる新聞広告を数多く手がける。朝日広告賞、TCC最高賞など受賞多数