「ロッテ キシリトールガム」、「明治おいしい牛乳」、NHK Eテレ「にほんごであそぼ」「デザインあ」など、パッケージデザインやシンボルマークをはじめ、テレビ番組のアートディレクションなど様々なプロジェクトを手がける佐藤卓さん。商品やブランドの世界観を表現しながら、日常の中に溶けこませるデザインセンスは圧倒的。息が長いデザインが多く、グラフィックデザイナーの社会的地位向上に貢献している人物の一人だ。
自主プレゼンで学んだ、デザインの可能性
──広告の仕事を始めたきっかけは。
実は「広告の仕事がしたい」という気持ちで電通を志望したわけではないんです。こんなこと言ったら怒られちゃうかな(笑)。でも、もう時効だから言っちゃいますけど、大きな会社に入れば、いろいろと勉強ができるだろうと思ったんです。広告業界のこともよく知らなかったし、当時は興味もありませんでした。
面接のときに見せた作品も、ポスターなど広告に関連するものではなく、自分で作ったオリジナルの文様。大学院ではアラベスクや唐草模様など世界中の文様を研究していて、誰も作り方が解けない特殊な文様づくりに夢中になっていました。それを作品として見せたら「何を考えているかわからない変わったヤツだ」と、面白がって採用されたようです。
そもそも、大学院に進んだのも、ロックバンドの活動を続けたいという不純な動機だったんです。大学3年からバンドを始めて、週1でライブ、週2でスタジオという日々を送っていました。いかに大学に行っていなかったかバレちゃいますね(笑)。音楽が面白くなって真剣に活動していて、将来はプロのパーカッショニストになりたいと思っていました。その可能性を探る時間を確保するために大学院に進学したんです。当たり前なのですが、そう簡単には音楽の道は開けなくて……。それで、ようやく就職について考え始めた、という状況でした。
──東京藝術大学から電通という経歴の裏側には、そんなことがあったんですね。
電通の先輩、鈴木八朗さんには「デザイナーに向いていないね」と言われるくらいダメな新人でした。予備校時代からデッサンは得意で、若干ですが自信があったのも、いま思えば良くなかった。鈴木さんに「全然ダメだね」って厳しくも優しく言っていただけたおかげで、自分の未熟さを認めることができたんです。
──転機となった仕事は。
デザインの扉を開いてくれたのは、ニッカウヰスキー「ピュアモルト」の商品開発の仕事です。ニッカウヰスキーの広告の仕事をしていたとき、自分が飲みたいウイスキーが1本もない、という話を先輩にしたら「どんなウイスキーなら飲みたいのか」と聞かれました。さらに「もし、本気で考えるつもりがあるなら、自主プレゼンの場を設けてもらうこともできる」と言われ、挑戦してみることにしたんです。
依頼のない自主プレゼンですから、どんなウイスキーをいくらで売るか、といった段階から考える必要があります。そのとき「何も知らないのに、提案などできない」と気づき、コピーライターと工場へ取材に行き、ウイスキーについて勉強することから始めました。
当時、私は27歳。私のような若い世代が、どんな場所に住みたいのか、どんなものを食べたいのか、どんな音楽が好きなのかなど、衣食住を調査し、その結果をもとに「そんな私たちに求められているのは、こんなウイスキーです」というプレゼンテーションをしました。
ネーミングやボトルの形状、値段、広告宣伝の方法までトータルで提案し、何度かやりとりを重ねました。そして、独立を決めた直後に商品化が決まり、退社後の初仕事として担当させていただきました。
広告会社で働いていたにもかかわらず「テレビコマーシャルはしない」という提案をしました。飲み終わった後に再利用したくなるシンプルなボトルが特徴で、その世界観が好きな人に届けば、商品の魅力は人から人に伝わると考えたからです。口コミにはお金がかからず、信頼性も高い。そのもくろみが当たり、1984年に発売すると、おかげさまで大ヒットとなりました。
ピュアモルトが売れたことで、同社の他の商品の売り上げも伸びるという状況を目の当たりにしました。一つの商品が企業のイメージを変える可能性があり、それがブランディングであることも理解できました。通りすがりのブティックで、ピュアモルトの空き瓶をディスプレーに使っているのを見つけたとき、計画したとおりに世の中が動いているのを実感し、自分の考えに自信を持つことができました。
常にゼロに戻って考えるために、あえてスタイルは作らない
──デザインする上で、大切にしていることは。
ピュアモルトの商品開発で経験したことは、その後の仕事のベースになっています。「相手のことを知りもせずプレゼンをするなんて失礼だ」という考えも、その一つです。だから、いまでもプレゼンの前には、クライアントに取材をすることはもちろん、可能な限り工場も見学させてもらっています。ただ、勉強という意識ではなく、あくまでも好奇心。当たり前だと思っていることも、よく見てみると、実は当たり前でないことがたくさんあって面白いんです。著名なデザイナーがデザインしたイスやクルマなど、デザインとして語られるものに意識が向きがちですが、無意識につきあっている日常的なものに目を向けると、誰も知らない「モノ語り」があったりする。たとえば、パッケージの底に小さなスミベタを入れるという指定も、「なぜ?」と聞いてみる。すると、工場のラインでパッケージをカットするとき読み取るための印で、スミベタのサイズにも意味があることも分かる。もちろん、商品を購入する消費者には関係のないことですが、人に話すと「そうなんだ」って驚いてくれるんです。そうした経験が「デザインの解剖」という独自のプロジェクトやテレビ番組「デザインあ」の企画にもつながっています。
──「明治おいしい牛乳」や「ロッテ キシリトールガム」など、スタンダードなデザインを数多く生み出しています。
スタンダードなものが求められることもあれば、そうじゃない場合もあります。だから、理想はiPS細胞のような万能性。自分のスタイルを持たないことがモットーで、変幻自在でありたいと思っています。とは言え、かつては「佐藤卓らしさ」について悩んだこともあります。けれども、ピュアモルトを成功させたことで、自分らしさなんて関係ないと言い切れるようになりました。だから、毎回、構築したものは壊してゼロに戻す。スタイルの芽を見つけたら、すぐに摘み取るようにしています。
そもそも仕事の依頼は、何一つとして同じものはありません。それなのに、これまでの経験だけを基にデザインするなんて、あり得ない。だから、デザインのための「ひきだし」なんて必要ないというのが私の考え。デザイナーがこれまで塗り重ねてきた表現にクライアントが合わせるなんて、おかしい。そんなことをしていたら、デザイナーが社会性を失ってしまうと思います。
──2015年に開催100年を迎えた全国高等学校野球選手権大会のシンボルマークのデザインも担当されました。
シンボルマーク
高校野球は、一生懸命さが魅力です。プロとの違いを考えたとき「未完成」や「人間として青い」といったキーワードが出てきました。それらと野球らしさを、どうつなげるか。キーワードと野球らしさを頭の中で行ったり来たりさせながら考えました。斜め上を見上げる球児の頭をシンボライズしていますが、顔はあえて明確に表現していません。それは、これからいかようにも発展していく可能性を意味しています。
プレゼンでは三つほどに絞って提案しましたが、ラフスケッチはたくさん描きました。ラフは無地のノートに罫線もひかず、イメージをそのまま描き、ある程度形になったものをスタッフに渡してデータにしてもらっています。若いときは、頭に思い浮かんだことは、どんどんアウトプットして具現化する訓練が必要だと思います。
──最後に、若手クリエーターに向けてのメッセージをお願いします。
デザインする上で考えるべきことは、企業や商品、その背景にあること、社会の中での役割など、たくさんあります。考えているのは「自分」なので、自分らしさなんて意識する必要はない。徹底的にやるべきことをやっていれば、自然と個性はにじみでてくるものです。
私にとって、やるべきことをやることが、何よりも自分のやりたいこと。だから、どんな仕事も面白い。いくら時間があっても足りないくらい、知りたいことがたくさんあります。仕事を面白くできるかどうかは、自分次第。仕事が面白くないとか、そんなの言い訳です。
グラフィックデザイナー
株式会社電通を経て、1984年佐藤卓デザイン事務所設立。「ロッテ キシリトールガム」や「明治おいしい牛乳」などの商品デザイン、 「金沢21世紀美術館」、「国立科学博物館」、「全国高校野球選手権大会」等のシンボルマークを手掛ける。また、NHK Eテレ「にほんごであそぼ」アートディレクター、「デザインあ」の総合指導、21_21 DESIGN SIGHTディレクターを務めるなど多岐にわたって活動。