2013年5月から始まった東急ハンズの広告シリーズ「ハンズのモノ研」。毎回、漢字の一文字で表されるテーマに沿って、東急ハンズの商品と、それに関連する豆知識が掲載されている。ビジュアルはすべてイラストレーションで作者はつがおか一孝さん。制作の過程や広告の仕事への心構え、独自のタッチを確立した経緯など聞いた。
イラストレーションのみの新聞広告 ダイレクトに売り場に反響
――東急ハンズの広告の制作の手順を教えてください。
まず、テーマが伝えられ、アートディレクターが考えたビジュアル構想に沿って描きます。商品は基本的に実物を見ながら、人物は写真を見ながら描きます。初回のメーンビジュアルの靴の絵は、約4日で描き上げました。画材はケント紙に鉛筆で下絵を描き、水彩絵の具で着色していきます。パソコンは一切使用せず、すべてアナログでの作業です。
図版のすべてを絵で表現する広告は久しぶりです。それは、東急ハンズの手仕事感を表現する上での強いこだわりでもありました。
初回の広告が掲載された後、売り場に「広告で見た、あの商品が欲しい」とお客さんが来られるようになったそうです。予想していたよりも大きな反響がダイレクトにあったと聞いています。
――新聞広告のイラストレーションを手がけるにあたって、心掛けていることは。
特にありません。広告の仕事や雑誌の表紙と挿絵も、オーダーを受けて絵を描く上での姿勢は同じです。製作ディレクターの意図をくんだ上で、自分の絵をいつもどおりに描くだけなんです。先週、先月、去年と同じように、今日も仕事に向かう。変えようともせずに、飽きないで描き続けていることに自分でもあきれるくらい。でもね、10年前に描いた絵を見ていて、変化していることに気づくことがたまにありますね。この変化、上達なの?退化なの?(笑)。
――写実的だけど、どこか懐かしい温かみのある独特のタッチが印象的です。
打ち合わせを終えた段階で、絵は僕の頭の中でほとんど完成しています。そこからの仕事は、頭の中にある絵を紙の上に具現化するだけの楽しい単純作業になります。そこで注意するのは、楽しくて思わず描きこみ過ぎないこと。時間をかけて写真のように仕上げるより、少し抜けたところを作る。そのほうがリアルに見えたり、気持ちが伝わるような気がしますね。ちょっと抜けたところっていうのも、僕の生活に合っているようで……。
――イラストレーターになったきっかけは?
大学を卒業した後、広告プロダクションにデザイナーとして入社しました。デザインの仕事を覚える前に、急用で必要な絵を頼まれて描いたんです。気づいたら社内で絵の仕事をどんどん頼まれるようになっていました。外注するより安いし早いですからね、便利に使われて(笑)。
その頃、毎晩のように新宿のゴールデン街で飲んでいて、マスコミで働く飲み仲間に「こんな仕事した」と見せていたんです。そうしたら「ウチの仕事も急ぎなんだけど描いてくれないかとアルバイトを頼まれるようになりました。飲み仲間とは朝まで人生を語り合い、本気の気持ちをぶつけあっていましたからね、絆は強いんです。だから仕事を頼まれたら断れません。いつしか会社以外の仕事をたくさんしていて、飲み仲間からも「なんでフリーにならないの?」って言われてね。流されるままに75年に独立しました。
趣味をきっかけに、好きなものを好きなように描く
――独自のタッチは、いつごろ確立したのですか?
1970年代に起こったアメリカの若者文化「自然回帰の運動」に出合いました。20代半ばだった僕はそのムーブメントの精神性に感銘を受けて、バックパッキングと一緒にフライ・フィッシングを始めました。アウトドアに関わる、当時の「made in USA(米国製)」の道具たちの魅力やファッションにも憧れたものでした。
大学の先輩でもあり広告代理店に勤務する友人に誘われて釣りに出かけた瞬間から、どんどんフライ・フィッシングの世界に引き込まれていきました。徳島の港町で育ち、魚釣りに夢中だった僕の少年時代の記憶が一気によみがえったんです。そのうちに、仕事でも好きな釣りの絵を描けるといいな!と考えるようになりました。でも当時の僕は広告の仕事が中心で、魚釣りの絵を依頼される機会はほとんど期待できない。そこで、出版社に売り込みに行ったんです。それまでに仕事で描いてきた絵と一緒に、新たに描いた釣り人や魚の絵を持って「山と渓谷社」の編集部を訪ねました。そこから、仕事でも好きなアウトドア系の絵を描けるようになりました。考えてみたら、あれは僕がやった最初で最後の売り込みでした。
絵のタッチは、描きたい画題(テーマ)から自然に生まれたものだと思います。僕が再現したいものを描くうちに出来上がった画風。いつ頃から?とあえて言うなら月刊『フィールド&ストリーム』誌の表紙に続いて月刊『アングリング』の表紙を12年間にわたって制作した1980年から90年にかけての10年くらいに出来上がったような気がします。川で出会った老釣り師の笑顔や、フライに飛び出したヤマメのキラキラした魚体。そして、歴史を刻んできた魅力的な遊び道具の数々。僕の絵のタッチは、僕が描きたいと思うものを表現するための一番楽な方法だったんです、きっと。
――つがおかさんのように、好きな絵を好きなように描いていきたいと思っているイラストレーターは多いはずです。
僕のタッチは、子どもの頃から変わらない自然なものです。かつては、意図的に個性を出そうと変えたりしたんですけど長続きしない。何回か描くうちに戻ってしまうんです。だから、売り込みのとき持って行ったのも、自分が描きたいものを描きたいように描いた絵でした。それが、僕の場合は、フライフィッシングをきっかけにアウトドアや自然にまつわるものだった。だから、どう描くかというよりは、何が描きたいと思っているかのほうが大事だと思います。
描くものがどんなものであれ、自分が好きなものを好きなように描くと、他の人にはまねできない自分らしい表現になるはずです。それは、イラストレーションに限らず、写真でも映画でも文章でも、自分の得意なことで表現すればいいんだと思います。
――今後、描きたいものは。
渓流や水辺などの「水」を描きたいと思っています。釣りやアウトドアが好きな人たちの頭の中にある「水にぬれた感じ」を呼び起こすような絵が描きたい。釣りをしたときに見える風景や匂いなど、五感で感じたことも描くときの要素になります。釣り人の心に共鳴させる絵は、釣り人だからこそ描けると思っています。
スペシャルメードのフライロッド
友人のロッド・ビルダー、村田孝二郎氏が作った「Murata Rod」。
「僕のために特別に制作してくれたフライ・ロッドです。20年以上使って、多くの思い出が詰まった相棒です。運送中の紛失を心配するあまり、どこに釣りに出かけるときでも、このロッドだけは必ず手持ちで携行します。」(つがおかさん)
イラストレーター
1950年徳島県生まれ。73年九州産業大学芸術学部デザイン科卒。同年クリエーティブエージェンシー「ザ・マン」入社。75年イラストレーターとして独立。広告・出版を中心にポスターやカレンダー、アウトドアスポーツ系を中心に書籍・雑誌の表紙などで活躍。91年六本木「アートボックス・ギャラリー」にて作品展。93年錦糸町「西武百貨店」にて「つがおか一孝・イラストレーションの世界展」開催。2006年銀座ソニービルにて「イラストレーター・つがおか一孝の仕事展」など作品展を多数開催。
※新聞広告を手がけるクリエーターにインタビューする、朝日新聞夕刊連載の広告特集「新聞広告仕事人」に、つがおか一孝さんが登場しました。(全国版掲載。各本社版で、日付が異なる場合があります)