ANAの広告写真を手がけた写真家の白鳥真太郎さん。撮影のエピソード、広告写真を撮る上で大切なこと、最近の広告についてなど話を聞いた。
「撮影の現場で新しいと思える構図を探る」
――ANAの広告写真は、ダイナミックな空とシンメトリーの構図が印象的でした。
ANAの協力のもと、滑走路の延長線上のはるか海上での超望遠撮影が実現しました。ラフの段階で、だいたいの方向性は決まっていましたが、どんなに「こういう絵を撮ろう」とイメージをして現場に行っても、太陽の向きや天候によって撮れないこともあります。このときは天候にも恵まれてラッキーでした。
どの撮影の現場でも、その場で「新しい」と思える構図を探るのですが、それには経験がものを言います。スタジオで撮影するときも、具体的なライティングを現場で考えることが多いですね。その場で「もうちょっとこうしたほうがいいかな」「これも面白いよ」などと相談しながら撮るのが好きなんです。
――写真とコピーが調和した完成度の高い広告だと思います。
広告は良いコラボレーションによって作られるものです。写真だけが良くてもコピーだけが良くても駄目。写真家、コピーライター、アートディレクター、それぞれの仕事がうまく重なりあって、はじめて成立するのです。その中で、写真の役割は見る人の目をひきつけることだと思います。何枚もの組み写真で見せる雑誌の編集写真とは違い、広告で使われる写真は1枚か2枚。ポスターなら1週間くらい、新聞なら1日と使用される期間も短い。新人の頃からずっと広告業界で働いていますから、人の注目を集めるインパクトのある写真を撮ることは習い性になっています。
――最近の広告についてご意見を聞かせてください。
誰にも嫌われない、真面目でわかりやすい広告が多いと思います。ネット社会によって、広告を見た人たちが感想や意見を気軽に発信できるようになり、拡散されていきますよね。広告に限ったことではありませんが、少しでも違和感のあるものに対しては、「炎上」したりもする。そういう時代性が広告の表現にも影響しているんだと思います。
かつて大貫卓也さんと手がけた「としまえん」や「ラフォーレ原宿」の広告は、見る人が自由に発想したり考えたりするインパクトのあるビジュアルでした。そうすることで、より印象に残りやすくなるんです。もちろん賛否両論、いろいろな見方があったのは事実です。けれども、それが広告の「面白み」になった時代でもありました。
――新聞広告の役割についてはいかがでしょう。
企業の「思い」や「信念」といった実際には目に見えないものを、見える形にして伝えることが広告の役割のひとつ。その最適な媒体は、やはり新聞だと思います。確実に自宅に届き、手元で見られる。そして、15段や30段といった、雑誌やウェブにはないサイズで掲載できます。手元でじっくり見てもらえる新聞広告に自分の写真が使用されるのはうれしいですし、やりがいも感じます。これからも、企業の心意気が感じられる新聞広告を見たいですし、作り手としても関わっていきたいです。
「プロにしか撮ることのできない写真をプロらしく撮る」
――写真はデジタル化が進み、誰もが気軽に撮影できる時代となりました。
私も仕事では、ほぼデジタルカメラで撮影しています。もちろんフィルムは大好きですし、暗室での作業も得意です。印画紙に写し出された銀塩写真独特の粒子感や黒の色調の美しさは格別ですし、なくなってほしくないという気持ちはあります。ただ、仕事をする上では、フィルムに対するこだわりはありません。出力はすべてデジタルですし、ネガで撮影した写真もスキャニングして使用されますからね。効率的にもデジタルの方がいいわけです。記録するメディアがネガ、ポジ、デジタルであっても、「何をどう撮るか」という姿勢は変わらないと思います。私がデジタル化にスムーズに移行できたのは、肉眼で見るには、印画紙にプリントしたのとほとんど変わらない出力ができる「ピクトログラフィ」というプリンターの存在があったから。その使い方を覚えるためには、AdobeのPhotoshopが使えるようになる必要があったのです。そこでまずPhotoshopの使い方を覚えました。今は暗室で作業するような感覚で、Photoshopを使っています。
――今、スマートフォンで使える写真アプリが人気です。撮った写真を共有しあうという、新しい写真の楽しみ方も生まれました。
写真を楽しむ人が増えることは喜ばしいことです。デジタル化により誰もが簡単に写真を撮れる時代となり、写真家によっては仕事が減った人もいると思います。自分でも撮れる写真を、わざわざ高いギャラを払って頼まなくなるのは当然の流れでもある。だったら、プロにしか撮ることのできない写真をプロらしく撮ればいいんです。そのほうが潔い。
――写真は誰にでも撮れるけど、やはりプロの仕事は違います。
資生堂で助手をやっている頃、先輩が撮影したライティングを覚えておいて、仕事が終わってから自分でも真似して撮影していました。でも、上がった写真を見ると、先輩が撮った写真と全然違うんです。方向性は似るんだけど、同じにはならない。光を同じようにあてれば撮れるというほど、簡単なことではなかったんです。そのためにも、被写体と光の関係をしっかりと見る必要があります。例えば、人であれば輪郭も鼻の高さも違いますから、影の出方も違ってくる。光をディフューズさせるときも、トレーシングペーパーがいい場合もあれば、シルクがいい場合もある。それを現場で「これがいい」と判断できるのも、いろいろなパターンで撮影した経験があるからなんです。
――1970年代から広告写真を撮り続け、今もなお第一線で活躍されています。広告賞も数多く受賞され、現在は日本広告写真家協会(APA)の会長も務められています。
若い頃は、うまくいかないことの連続でしたよ。大きな挫折はなかったけど、このままでいいのかって悩むこともたくさんありました。自分ではいいと思った写真を否定されたり、いろいろな事情で思い通りの撮影ができないことがあったり。それでも辞めなかったのは、広告写真が好きだからなんです。独立ができたのは、一緒に仕事をしていたアートディレクターに後押ししてもらえたから。博報堂を辞めたのが1988年の12月なんですが、年明けからすぐに仕事がありました。嬉しかったですね。それからずっと同じ仕事ができてラッキーだと思います。
――白鳥さんのような写真家になりたい人も多いと思います。最後にメッセージをお願いします。
博報堂にいた頃、先輩に「白鳥、光が見えてきたな」って言われたんです。なんだか照れくさかったけど、うれしかったのを覚えています。光については、考えるというよりは感じるものです。感じられるようになるには最低でも10年はかかる。そのためにも、たくさん考えながら撮り続け、自分の経験値を積むしかないと思います。私が写真家になってカメラを持たなかった日は、祖母と父の葬式の日だけ。カメラを持っていないと落ち着かないんです。鞄には必ずコンパクトカメラが入っています。気になった風景やものを撮るなど、毎日なにかしら撮影しています。
1973年に買ったカメラ、ローライ35を愛用
資生堂で助手として働きはじめて2年目、APA公募展で特選を受賞しました。賞金が10万円で、そのうちの5万円で買ったカメラです。これは目測式で、ファインダーと連動していないカメラなんですよ。このカメラが持ち歩き用カメラの第1号です。
写真家
千葉大工学部写真工学科卒。資生堂宣伝部写真部、博報堂写真部勤務を経て89年に白鳥写真事務所を設立。2008年から公益社団法人 日本広告写真家協会(APA)会長。APA賞をはじめ国内の主要な広告賞を毎年のように受けている。写真集に『貌 KAO白鳥写真館』(グラフィック社)など。
※新聞広告を手がけるクリエーターにインタビューする、朝日新聞夕刊連載の広告特集「新聞広告仕事人」に、白鳥真太郎さんが登場しました。(全国版掲載。各本社版で、日付が異なる場合があります)