2000年に掲載された、サントリー・モルツの新聞広告。この広告紙面で、「丸明オールド」がデビューを果たした。どこかクラシックで温かい雰囲気を漂わせる、新しい“書体”だ。この「丸明オールド」を生み出したのが、書体設計家の片岡朗さん(カタオカデザインワークス)。書体制作という仕事や、書体や文字に対する思いなどについて、片岡さんに話を聞いた。
──「丸明オールド」が初めて世に出たとき、どんな感想を持たれましたか。
朝刊を広げてあの新聞広告を見たときは、涙が出ました。「丸明オールド」はあの時点ではまだ発売前だったんですが、アートディレクターの副田高行さんが使ってくださった。反響も大きくて、本当にありがたかったです。
発売後は、広告以外にも書籍や雑誌など色々なところで見かけるようになりましたが、店頭のノボリとか総菜店のメニューとか、意外なところで見かけるとすごくうれしい。つい一品余計に買っちゃいますね(笑)。
──書体の制作を手がけるようになったきっかけは?
フリーでデザイナーをしていたんですが、バブル崩壊で急に仕事が暇になり、「僕は今まで何をしてきたんだろう?」と、自分自身を問い直したんです。その時、「そういえば、文字が好きだったんだよなぁ……」と気づきました。僕が学校を出て最初に勤めたのは、レタリングを専門にやっている会社。イベント会場で使うパネルなどに、フリーハンドで文字を書いていました。
その後、デザインプロダクションのレタリング部で働いた後、広告会社に転職しましたが、そのころに写研主催の「タイプフェイスコンテスト」に応募して賞をもらったこともあります。さらに、自分の仕事場には、書体を作るのに最適なMacのパソコンがある。そんな流れで、原点に戻るような感じで、なんとなく書体の制作を始めました。
──Macがあるとはいえ、膨大な量の文字をどうやってひとりで作るのですか。
ときどき聞かれるのですが、ゼロから文字を作るわけではありません。過去の文献や辞書から好きな文字をスキャンし、その「骨格」に肉付けしていくのが僕のやり方。たとえば、1886年発行の『大漢和字典』、1831年発行の『康煕字典』などの文字は、今見ても非常にモダン。「父」「母」「私」あたりの字を並べて眺めてみると、その書体の持つ雰囲気がよくわかるんです。
そして、複数の書体の同じ文字をスキャンして重ね合わせて、「骨格」を取ります。この時点で今まで存在しなかった文字になっていますが、さらに一文字ずつ自分なりの解釈で肉付けをして、新しい書体を制作していきます。「ここのスペースをあけると、こう表情が変わって……」と、色々考えるのは本当に楽しい。この楽しさを、今の若い人にもぜひ知ってもらいたいですね。体調によって見え方が違うこともあるんですが、そんなアナログなズレがあるところも、愛嬌(あいきょう)があっていいんじゃないかと思います。
──「丸明オールド」の登場で、書体、特に明朝体の秘めた可能性に気づかされた人も多かったのではないでしょうか。
広告会社で書体を選ぶ側にいたころから、「広告に使う明朝体に何か新しいものはないか?」と思っていました。「明朝体とはこういうものだ」という常識のようなものがあったんですが、どうも物足りない気がしていたんです。そもそも、明朝体は過去の遺産の方が優れています。理由は簡単で、昔は誰もが筆を使っていたから。筆を使った楷書(かいしょ)体を印刷用に彫るうちに、様々な明朝体ができてきた。僕が今やっているのは、そういう優れた過去の遺産を使わせてもらい、今の社会が好む味付けをして、次の世代へ送り出すという作業です。
また、手で小さいきれいな円を描くのは非常に大変ですが、Macならほんの一瞬。円を描く機能を生かすなら、ゴシック体より明朝体が向いています。Macは言ってみればひとつの産業革命ですから、その機能を生かして書体に落とし込めば、「今」の書体になるんです。
──新聞に使われている「新聞明朝」は、書体を生み出す側から見ていかがですか。
新聞社ごとに新聞明朝はそれぞれ違いますが、どの新聞明朝も懐が広くて平体がかかっていて、それぞれに小さくても読みやすい工夫がなされています。人は長い時間見ている書体を無意識に好きになるものなので、長年目にしている新聞明朝に愛着を感じている人もきっと多いでしょうね。
──いま、広告のクリエーティブを取り巻く状況をどのように見ていますか。
不景気のせいもあるのでしょうが、頭の中で考えた図式にあてはめてしまって、個性が希薄になり、現場で実際に考えたことを掘り下げる余裕がなくなっているような気がします。広告はそこに込められた「想(おも)い」で成り立っているものだと思いますが、発信する側が実際に検証して「想い」を強く持たない限り、受け手には感じ取ってもらえないですよね。
新聞広告も、「情を報じる」わけですから、「情」の美しい部分を報じることで、世の中により良い影響を与えることができるのではないでしょうか。「活字になって発信した」という価値と重みがあるわけですし、逆に今こそチャンスなのでは? と思います。
──いま、「これをしている時が楽しい」と思う瞬間は?
孫と遊んでいる時と、文字を作っている時ですね(笑)。基本的にストレスがまったくない仕事で、それはそれでいいんですが、自分が軟弱になっている気もします。今後もできる限り長生きして書体を作り続けたいですが、最後はやはり明朝体を作ってみたいです。年をとらないとわからない、わび寂(さ)びの微妙な要素を加えた“枯れ明朝”とか。なんとなく良さそうな感じ、しませんか?(笑)
文/大田 聡 撮影/星野 章
●「丸明オールド」が使われた東京国際大学の新聞広告(2009年 8/9~8/25 朝刊)
東京国際大学の新聞広告(2009年 8/9~8/18 朝刊)
東京国際大学の新聞広告(2009年 8/19~8/25 朝刊)
1947年、東京都出身。レタリング事務所、デザインプロダクション、広告会社を経て90年独立。2000年2月「丸明オールド」発表。05年3月「iroha gothic family」、07年1月「丸明朝体family」、09年10月「丸丸gothicABC」発表。07年11月には、『文字本』を誠文堂新光社から上梓(じょうし)。第2回石井賞3席、朝日広告賞入選、日経広告賞、雑誌広告賞など受賞多数
※新聞広告を手がけるクリエーターにインタビューする、朝日新聞夕刊連載の広告特集「新聞広告仕事人」に、片岡朗さんが登場しました。(全国版掲載。各本社版で、日付が異なる場合があります)