ラジオに大事なのは情熱 いい曲をたくさん流して音楽文化に貢献したい

 ラジオやテレビの音楽番組を中心に、DJや司会として活躍するピーター・バラカンさん。大好きな音楽への思いを胸に、ラジオ文化の復活に尽力している。昨年9月、これまで数々の番組を担当してきたFM局「インターFM」を有するエフエムインターウエーブの執行役員にも就任。1月に出版した自伝『ラジオのこちら側で』(岩波書店)についての話や、マスメディアの今後について語ってもらった。

リスナーのための番組づくり 多様な音楽を紹介したい

──『ラジオのこちら側で』に、バラカンさんが音楽と出合うきっかけが書かれていました。ラジオ番組が音楽好きになるきっかけだったそうですが、英国にいた当時のラジオ番組を、改めてどのように振り返りますか。

 1960年代、ラジオは新しい音楽を知る情報源でした。民放はまだなく、聴いていたのはもっぱらBBCの音楽番組です。スポンサーなどにしばられず、DJが本当にかけたい曲をかけている印象があり、音楽業界全体に冒険心がありました。だからこそ、60年代の音楽はすたれることなく、今でも聴き継がれているのだと思います。もちろん、誰しも多感な少年時代に接した芸術は心に残るもので、昔を懐かしんで50代や60代の人たちが聴いていることもあるでしょう。それを差し引いても、60年代の英国や米国の音楽、少なくともポピュラー音楽に関しては、特別だったと思います。あれだけ普遍的な名盤がたくさん生まれたのですから。

──現在の日本のラジオ番組を取り巻く環境をどのように見ていますか。

ピーター・バラカン氏 ピーター・バラカン氏

 ラジオ業界は大変なピンチを迎えていると思います。ビデオリサーチが発表している調査ではラジオの個人聴取率は1日あたり平均で6%台前半です。高い数字とはとても言えません。なぜラジオ離れが進んでしまったのか。メディアの多様化もありますが、番組制作者がリスナーのニーズを二の次にしてスポンサーの方ばかりを向くようになったせいもあると思います。リスナーは敏感ですから、自分をないがしろにする番組は聴かなくなります。単純な話ですが、なかなか改善されません。僕は今、インターFMの執行役員を務めていますが、提供する番組は、自社のためでもなく、スポンサーのためでもなく、リスナーのためだということを、社員に再確認してもらっています。

 もちろん、民放はスポンサーがいなければ存続できません。ただ、スポンサーの意向でもないのに、番組制作者が先回りしてスポンサーを喜ばせようとする必要はないはずです。番組を細切れにしてCMを頻繁にはさんだり、音楽を最後まで流さずにフェードアウトして、その代わりにインフォマーシャルを延々と流したり……。リスナーとしてそういう番組に出合うと、「これならCDを聴いたほうがいい」と興ざめしてスイッチを切ってしまいます。

 音楽番組の内容についても、首をかしげたくなる状況があります。日本のラジオを聞いていると、いつも同じようなJ-POPの曲が流れている印象です。100年以上も培われてきた、世界の録音音楽の巨大な文化があるにもかかわらずです。例えば、ビートルズの曲を10 曲以上知っている10代の若者がどれだけいるでしょうか。ビートルズほど有名でなくても、いいアーティストは山ほどいますが、それがほとんど電波に乗らない現状です。

──レコード会社は、ラジオ局にどのようなことを望んでいると感じますか。

 宣伝に力を入れているアーティストの曲を流してほしいというニーズは当然あるでしょう。ラジオ局としてプロモーションに協力したり、あるいは市場調査をして人気が高い曲を流せば、商業的には早くいい結果を得られるかもしれません。しかし、僕はその道を歩もうとは思いません。例えば、インターFMでかける曲は、J-POP主流の業界の流れとは反対路線を行き、9割が洋楽です。その洋楽もいわゆる「売れ線」にとらわれず、様々なジャンルをかけています。営業的に効率は悪いかもしれませんが、いろいろなリスナーを満足させたいのです。「インターFMは知らない曲もいっぱいかかるけど、つい聴いてしまう」ということでもいいので、「本物の音楽ステーション」のイメージが定着すればいいと思っています。

ピーター・バラカン氏

震災後にラジオが再評価 求められたのは最新情報と変わらない日常

──『ラジオのこちら側で』にも書かれていますが、ロンドン大学で日本語を学び、レコード店勤務を経て、日本の音楽出版社に就職しました。DJやテレビ番組の司会をするようになったきっかけは。

 音楽好きが高じてレコード店に勤め、日本の音楽出版社の求人広告を見て応募し、採用されました。あこがれていた音楽業界ですが、音楽ビジネスと自分が好きな音楽とのギャップに悩みました。DJの仕事は、1980年に知り合いに誘われてFM東京のDJオーディションに合格して始めました。これが一つのきっかけになって会社を辞めましたが、収入のため、退職一カ月後には、縁があってYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の事務所の社員になりました。

  82年、矢野顕子がメーンDJを務めるFM東京の深夜番組を手伝うことになりました。彼女も僕も自由に言いたいことを言い、選曲も個性的でした。僕はまだ会社員で別の稼ぎがあったから、のびのびやれたのかもしれません。そして、この番組を聴いた人が僕を面白いと思ってくれて、洋楽のミュージックビデオを中心に紹介する「ザ・ポッパーズMTV」(TBS)の司会に呼んでくれたのです。

 「ザ・ポッパーズMTV」の司会は84年から3年半担当しました。この番組を見ていた方は案外多くて、今も40代半ば以上の方から、「『ザ・ポッパーズMTV』をきっかけに洋楽が好きになりました」「あの番組が自分の音楽の好みを決定づけたんです」などと声をかけられることがあります。うれしいと同時に責任も感じますね。

  88年からは、「CBSドキュメント」(TBS)の司会を担当することになりました。米国の社会的なテーマを扱う番組を通して、音楽以外のことも勉強し、番組でコメントできるようになったと思います。

──バラカンさんが普段ニュースに接するメディアは。

 わが家では、僕がインターナショナル・ヘラルド・トリビューン、妻が朝日新聞を購読しています。ネットニュースも読みますが、編集者が介在して情報を選択しているメディアに魅力を感じます。朝日新聞に希望を言わせてもらうと、「紙」を購読している読者には、ぜひ朝日新聞デジタルを無料で見せてほしいですね。ちなみにウェブブラウザのデフォルトサイトはBBCです。

──東日本大震災では、ラジオが貴重な情報源となりました。

オンエア中に自ら針を落とすバラカン氏 オンエア中に自ら針を落とすバラカン氏

 ラジオが再評価され、震災後の売れ行きが好調だという話も聞きました。ソニーが、ラジオ放送を350時間以上デジタル録音できるポータブルラジオレコーダーを発売するなど、新しい機能を搭載した機種も出てきています。

 本にも書いたように、あの震災が金曜日にあり、その日と翌日の担当番組は中止になりましたが、平日朝のインターFMの担当番組は通常通り、翌週から始まりました。最初の2、3日は、いつもと少しだけ選曲を変え、できるだけ元気が出る曲をかけました。確信があってそうしたわけではありませんが、リスナーから「いつもの朝と同じように、いい音楽がラジオから流れてきてホッとした」という声が複数届いて、間違っていなかったと思いました。人々はラジオに最新情報を求める一方で、変わらない日常も求めていたのでしょうね。

 震災後にやりがいが出てきたのは、金曜日の夕方に担当している東京FMの「The Lifestyle Museum」という番組です。毎回様々な分野で個性的な生き方をしているゲストに話を聞くインタビュー番組です。ジャーナリストの上杉隆さんに原発問題を語ってもらうなど、社会的な問題意識を持った内容を放送しています。「東京ミッドタウン」がスポンサーですが、志を高くもってくださっていて、取り上げるテーマに広がりを持たせることができます。

未知の音楽との偶然の出合いもラジオの魅力

──最近、ラジオに新しい潮流が来ているそうですね。

 米国で広まっているのが、衛星ラジオです。有料メディアなので、スポンサーにしばられずにいい番組を作っています。衛星ラジオのシステム自体は日本の導入が早かったのですが、いろいろ規制がかかって広まっていません。米国は、料金を安く抑えて普及が進み、チャンネルも多様です。ユーザー志向が徹底していて、そこが日本にない魅力だと思います。

 定額制の「聴き放題」の音楽配信「ストリーミングサービス」は、米国に限らず日本でも少しずつユーザーを増やしています。例えばソニーの「ミュージック・アンリミテッド」は、「最新のヒット曲から名曲まで1,300万曲以上のラインアップから、気になる曲を好きなときに好きなだけチェックできる」とうたっています。ストリーミングサービスには学習機能があり、ユーザーのし好に近い曲やアーティストのお薦めが届きます。それに応えていくと独自の配信内容として集約されていくわけです。これが広まった背景には、ラジオが果たすべき機能を果たさなくなっていることがあると思います。

  そもそもラジオは、最大公約数の好みを想定して音楽をかけるメディアではないはずで、リスナーからのメールや電話を直接受けて曲をかけることも可能です。さらにラジオは、自分が興味のないジャンルの音楽も偶然耳に入ってきて、曲の背景やミュージシャンの物語についてDJが情熱をもって語ってくれます。これはストリーミングサービスでは味わえない音楽体験です。

 まずラジオで未知の曲との「偶然の出合い」をして、興味を持ったアーティストの曲をストリーミングサービスで深く聴きこむ、という楽しみ方もできるのではないでしょうか。

──バラカンさんの音楽の入手方法は。

 最近はもっぱらネットですね。時々CDショップで買うこともありますが、そうするとやはりラジオと同じで「偶然の出合い」があります。でも、現在の僕の一番の音楽情報源はリスナーです。番組に多くの意見やリクエストが寄せられますが、知らない曲もたくさんあります。いいリスナーに恵まれているおかげで、僕の音楽への興味は尽きることがありません。

ピーター・バラカン氏

──ラジオ番組制作者に最も必要なことは。

 情熱だと思います。ビジネスも大事ですが、ファンの心をつかむ手立てとして情熱にまさるものはないと信じています。情熱にまかせると選曲に偏りが出ることもあるでしょう。僕の選曲も偏りがあることは否定しません。社会的なテーマを扱う番組であれば、客観的で公平な視点が重要だと思いますが、少なくとも音楽番組は、「こんなにいい曲なんだから、多くの人に聴いてほしい。魅力を共有したい」という熱意が必須ではないでしょうか。それが番組の個性となり、個性を愛してくれるファンの獲得につながる気がします。

 僕は、ラジオでいい音楽を流して音楽文化に貢献したいと思っています。一度離れてしまったリスナーを呼び戻すのは簡単ではないし、質のいい番組を作っても、いいイメージが浸透するまでに時間がかかるでしょう。そこをスポンサーがどこまで理解してくれるかという課題がありますが、番組ごとではなく、「インターFMの文化貢献活動」に共鳴してくれるスポンサーを見つけていくことも大事だと思っています。

ピーター・バラカン
同氏の近著「ラジオのこちら側で」(岩波書店) 同氏の近著
「ラジオのこちら側で」
(岩波書店)

ブロードキャスター

1951年ロンドン生まれ。ロンドン大学日本語学科を卒業後、74年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。現在フリーのブロードキャスターとして活動。「Barakan Morning」(インターFM)、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)、「CBS60ミニッツ」(CS ニュースバード)、「ビギン・ジャパノロジー」(NHK BS1)などを担当。著書に『200CD+2 ピーター・バラカン選 ブラック・ミュージック アフリカから世界へ』(学研)、『わが青春のサウンドトラック』(ミュージック・マガジン)、『猿はマンキ、お金はマニ 日本人のための英語発音ルール』(NHK出版)、『魂(ソウル)のゆくえ』(アルテスパブリッシング)、『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)、『ぼくが愛するロック名盤240』(講談社+α文庫)などがある。ツイッターのアカウントは@pbarakan。