2012年2月2日、新会社「Hotchkiss(ホッチキス)」を設立した水口克夫さん。広告業界で働き始めて25年。電通、シンガタを経て独立した、その心境などをうかがった。
自分の価値基準で動ける環境に身を置きたかった
――Hotchkiss設立について、その経緯を教えてもらえますか?
アートディレクターになりたくて電通に入社したんですが、途中からは自分から希望してCMプランナーとして働いていました。だけど、当時同じ電通で働いていた佐々木宏さん(シンガタ クリエーティブディレクター)からは「お前の一番の武器はアートディレクションだから、それで勝負したほうがいいぞ」って言われていたんです。その後、2000年に佐々木さんがCDを務めたauの広告で、アートディレクションを手がける機会をいただきました。ロゴマークの作成や店頭のビジュアル、新聞やポスターなどのデザインまでトータルでディレクションしたことは自信にもなったし、自分の中で眠りかけていたアートディレクターの意識や感覚が目覚めるきっかけにもなりました。心のどこかでCMプランナーとしての限界を感じていたこともあり、それから3年後の2003年に、アートディレクターとしてシンガタに参加しています。
独立を考え出したのは、おととしくらいからです。何か不満があったわけではないんですよ。ただ、5年後、10年後に自分がどうなっていたいか、どうなっていくべきかを考えたとき、自分の価値基準で物事を判断していける環境に身を置きたいという気持ちがあることに気づきました。
自分なりの評価軸を持つためには、いろいろな人と出会うことは大事だと思います。いろいろなものを見て、いろいろな人と出会い、話して、考える。生き方も考え方も、判断の仕方も人それぞれですから。
僕は多摩美術大学で12年間非常勤講師をしていますが、最近は先生が評価してくれるのを待っている学生が多いことに気づきます。それは社会人にも同じことが言えるんです。僕はHotchkissという場をつくり、自分の価値基準で動いていきます。決裁権がある分、責任も自分。その覚悟を持って仕事をしていく道を選びました。
人と人、アイデアと人をつなぎたい
――Hotchkissとして、どんな仕事を手がけていきたいと考えますか?
ソフトバンク、サントリーBOSS、明光義塾ほか、シンガタでの仕事は継続して担当させていただいています。ホッチキスとしての仕事は、これから。クライアントの皆様、お気軽にお声がけいただけたらうれしいです。とにかく、フレキシブルに活動できる身軽な状態なので、今までの経験を生かしながら幅広い領域でデザインの仕事を手がけていきたいと思っています。
5月からは女性メンバーがひとり増えて、Hotchkissは6人体制となります。裏話ではありますが、彼女との出会いは山本髙史(コトバ コピーライター/クリエーティブディレクター)や水野学(good design company アートディレクター/クリエーティブディレクター)といった飲み友だちからのつながりなんですよ。会社のためになることは会社以外の場所にあったりする。これは長年、会社員として働いてわかったことのひとつです。会社名のHotchkissという名前も、人と人をつなぐ、アイデアと人をつなぐという思いを込めてつけました。
――木目を基調としたオフィスは水口さんのセンスの良さを体感できますね。
場所は表参道にすることは最初から決めていました。遠く離れたところにオフィスを構えたら、シンガタ(同じく表参道)とけんか別れしたのかと思われちゃうでしょ(笑)。青山は便利だし環境もいいですからね。物件はいろいろ見ていたんですが、なかなか決めきれずにいました。そんなとき、ここ(FROM-1stビル)に空きが出たという連絡があったんです。若干予算オーバーではあったのですが、内見したら「絶対ココがいい」って決めました。今はなんでも「先行投資」を理由にできる時期ですから(笑)。表参道の交差点から根津美術館へと続く通りに面しているので、わかりやすいのもいい。また、70年代に建築されたデザイン性の高い建物で、そんな歴史が感じられる空間であることも気に入りました。
独立の記念。フィリップ・ワイズベッカー描き下ろしの絵
約10年前から親交があるというアーティストのフィリップ・ワイズベッカーさんに、独立を記念して描き下ろしてもらったホッチキスの絵。完成した絵を郵送して受け取るという方法もあったが、「独立して会社に飾る大事な絵を送ってもらうのでは、心意気が足りないと思った」と、自らバルセロナにあるアトリエまで受け取りに行った。2種類のホッチキスの絵が用意されており、「両方、いただいて帰りました」と水口さん。写真の絵は打ち合わせスペースに、もうひとつは水口さんのデスクのあるワークスペースに飾られている。