伝統的な広告のクラフトマンシップとデジタルの最前線を融合して、何かを生み出したい

 電通で数々の歴史に名を刻む広告を手掛け、国内で先駆けてデジタルメディアを駆使したコミュニケーションを世に送り出してきた杉山恒太郎氏が、この4月、老舗広告制作会社ライトパブリシティの副社長に就任した。さらに、世界的な評価を受ける業界の寵児(ちょうじ)5人が立ち上げたクリエーティブラボ「PARTY」のアドバイザー的役割も。思い出話を交えながら、これからの時代のコミュニケーションについて何を思うのか語ってもらった。

「恒ちゃん語録」の数々が弱小チームをメジャー級に育て上げた!?

杉山恒太郎氏 杉山恒太郎氏

――電通時代のお話を聞かせてください。

 社歴の前半はクリエーティブディレクターとして、そして後半、特に最後の10年くらいは経営側に携わりました。クリエーティブマインドを保ちつつの経営というのは非常におもしろかった。とてもいい勉強をさせてもらいました。その経験は、ケイミックスでのコンサルタントの立場としての相談役業務に役立っています。

 ただ、電通時代で一番大変で、でもとてもエキサイティングだったのは、インタラクティブ・コミュニケーション局の局長を務めた頃です。インターネット黎明(れいめい)期だった1997年、いきなり「デジタルをやれ」という指令が下り、―社内も業界も、もちろん僕自身も、「なんで杉山が!?」という驚きの人事でした―その領域に関わるようになりました。

 局長になって僕のもとには30人余りの部下が集められたものの、インターネットやデジタルに詳しい理系出身者が中心で、はっきり言ってクリエーティブとは対極にいるような人ばかり。社内からはオタクの集団みたいに見られるし、そこに配属された部下たちも困惑しているし、「何をしたらいいんだ」「このメンバーをどうやって守っていこうか」と、最初のころはそんなことばかり考えていましたね。

――まさに逆風の中での船出だったんですね。どうやってブレークスルーしたんですか?

 「がんばれベアーズ」という米国の懐かしい人気映画があります。ボールがバットに当たっても3塁に走っていっちゃうような野球オンチが集まった弱小チームが、奮戦しながら強くなっていくお話。当時の僕のチームは、クリエーティブのことをまるで知らないメンバーがほとんど。だから彼らにこう言ったんです。「僕たちは、がんばれベアーズなんだ」

 それまでちょっと斜に構えていた理系の部下たちが、その言葉をおもしろがり、奮起してくれた。突然コピーライターやデザイナーにさせてしまった彼らを、僕はときに叱咤(しった)し、ときに激励しながら、チームはまさにベアーズのように少しずつ力をつけていったんです。

 そのときの部下たちが、今ではスタークリエーターやトッププランナーとして活躍しています。彼らは僕がかけた言葉――通称「恒ちゃん語録」と言うらしいのですが(笑)――をとても大切にしてくれていて、それが昨年、『クリエイティブマインド つくるチカラを引き出す40の言葉たち』という1冊の本になりました。でも、当の僕はほとんど覚えていない。本にすると美談っぽいけど、あのころの僕はただただ必死だったんだと思います。「プレゼン通ってくれないとまずい」とか「もっと力を発揮してくれなきゃ会社の売り上げにつながらない」とかね(笑)。でも、今振り返ると、懸命に声をかけながら僕も一緒に学んでいたんだな、と思いますね。

――わずか15年ほど前のお話ということが驚きです。

 本当にものすごい勢いでテクノロジーが進化しましたね。でも、インターネットが登場して確かに情報の流通革命が起きたんだけど、それで終わったら単なる流通の革命で終わってしまう。そこに人の心を動かすもの、感動させるものが生まれて、初めてインターネットはメディアになるに違いない――。そう確信しました。それまでの僕はクリエーティブの仕事をしていると思っていたけれど、実はそれだけではあまりにも一方的で偏りがあり、メディア全体を俯瞰(ふかん)する必要があると感じた。ある意味、この時期に広告やコミュニケーションやメディアの本当の意味を知ることができたような気がします。

伝統と最先端をつなぎ、融合しながら「ストーリー&テクノロジー」を標榜する

――そして今年4月、電通を卒業、ライトパブリシティの副社長に就任しました。その経緯、現在の仕事について聞かせてください。

 1951年創業のライトパブリシティは、どこの広告会社の傘下にも属さない、日本では稀有(けう)なインディペンデントのクリエーティブハウスです。コピーライターの秋山晶とアートディレクターの細谷厳という、日本の広告業界を代表する二人の「怪物」のもと、伝統的なクラフトマンシップをかたくなに貫いています。若いころから憧れていてはいたけれど、あのころの僕の力ではとても入ることができなかった。30年間キャリアを積んでようやく声をかけてもらったんです(笑)。自分で手を動かし、文字を書き、色を塗るというふうに汗をかきながらの仕事を再開するのは、おそらく年齢的にもギリギリのタイミング。プレッシャーはありますが、現場の若いスタッフと実感を持てる仕事を続けたいと、決意しました。

 ライトパブリシティには、コピーライターもアートディレクターもカメラマンも在籍していて、社内にスタジオもある。クオリティーの高いクリエーティブをすべてが内製できるのが大きな強みです。自分たちの会社が持っている知的資産がこれからの時代には最高のアドバンテージになると、特に若い人たちには伝えていきたい。また、そうしたスタッフたちの才能が本来の力を発揮し、効率よくまわるようにクリエーティブなマネジメントをするのが、僕に期待されている役目だとも思っています。

――一方、話題のクリエーティブラボ「PARTY」ではCSOを務められています。CSOという肩書は珍しいですね。

 「CSO」というのは、Chief Story Officerの略で、最高物語責任者、とでも言うのかな(笑)。このネーミングが立派過ぎて誤解されますが、月に一、二度顔を出すアドバイザーです。

 PARTYの5人のメンバーは、世界に通用するプレーヤーたちです。まさに「デジタルキッズ」の彼らは、はたから見るとすごくかっこよく仕事しているんだけど、実はアイデアの源を懸命に探している。僕には、「古い映画や小説、デザインのことを聞きたい。情操教育をしてほしいんです」との殊勝なオーダー(笑)。

 新しいものを作る上で一番大事なことは、歴史を知ること。本当に新しいことは歴史の中からしか生まれないからです。60年代や70年代の欧米の広告が強烈にすごかった時代のこと、僕がカンヌ国際広告祭(※)で審査員を務めた90年代初頭の欧米のレベルの高いテレビコマーシャルのことなど、僕が見てきたことを少しずつ伝えています。新しいデジタルクリエーティブを作り上げるためには、クラシカルで上等なものをたくさん知る必要があることを彼らはよく分かっているから。

(※)2011年、名称を「カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル」に変更

――最後に、これからの時代のコミュニケーションを考えるヒントをお願いします。

杉山恒太郎氏

 広告コミュニケーションは、「アート&コピー」から「ストーリー&テクノロジー」の時代になりました。グーテンベルクが活版を作って小説が生まれ、フィルムが誕生して映画が生まれたように、テクノロジーやインターネットがどんな新しい語り方をできるのか、そして、そこからどんな新しい物語が生まれるのかが問われているのです。

 特にソーシャルメディアが強力な力を持ち始めている今、効くクリエーティブは、Say(=メッセージを送る)からDo(=人を動かす)の時代になっている。そのときに重要なのは、同時性やライブ性です。たとえば音楽業界では、CDの売り上げは落ちているけれど、ライブの動員数は激増している。音楽が衰退しているわけではなく、語り方、表現の方法への生活者の好みやニーズが変わってきている、ということ。同じ瞬間に行動や感情をシェアできるソーシャルメディアが支持されているのが、まさにその証拠です。

 ただ、テクノロジーには「罠(わな)」がある。最先端のテクノロジーに関わっていると最先端の仕事をしていると勘違いしがちだけど、実はただ単に「人よりちょっと早く知っている」だけなんです。だから、テクノロジーだけに頼っていると、テクノロジーが陳腐化するとともにコミュニケーションも時代遅れのつまらないものになってしまう。インターネットやテクノロジーを知っていることと、新しいものを生み出すこととは、似ていて非なるのです。インターネットという伝達手段、ツールを使って、心を揺さぶりながら人を動かしていけるか。それが、これからの時代のコミュニケーションの課題だと思います。

 だからこそ、僕の今の立ち位置にはきっと意味がある。なぜなら、ライトパブリシティの伝統的なクラフトマンシップとデジタルの最先端を、僕という存在を通じて融合することで、何かおもしろいものが見えてくると感じているから。クリエーティブの仕事をしている人、あるいは目指す人たちに対して、「ストーリー&テクノロジーとはどういうことなのか」というひとつの答えを示すことができるのではないかと、自ら期待しているのです。

杉山恒太郎(すぎやま・こうたろう)

ライトパブリシティ 代表取締役副社長/PARTY アドバイザー(CSO)/ケイミックス 相談役

1948年、東京都生まれ。立教大学経済学部卒。電通入社後、CMプランナー、クリエーティブディレクターとして活躍。主な仕事に、小学館「ピッカピカの一年生」、セブンイレブン「セブンイレブンいい気分」、サントリーローヤル「ランボオ」、丸井「天使が降る夜に会いましょう。」など。2002年のワールドカップ、2005年の愛知万博の招致では日本を代表してクリエイティブディレクションを担当。IAA・国際広告賞グランプリ、カンヌ国際広告賞金賞ほか、国内外の受賞多数。カンヌ国際広告祭審査員(フィルム部門、サイバー部門) 東京インタラクティブ・アド・アワード初代審査員長、全日本シーエム放送連盟「ACC CMフェスティバル」実行委員長・テレビCM部門審査委員長を歴任。東京藝術大学大学院映像研究科特別教授、金沢美術工芸大学非常勤講師。著書に『オリエンタルボーイ』(河出書房新社)、『高級なおでこ』(太田出版)、『ジャパン・プレゼンテーション』(角川書店)、『ホリスティック・コミュニケーション』(共著、宣伝会議)、『ひとつ上のチーム。』『広告も変わったねぇ。』(共著、インプレスジャパン)、『クリエイティブ マインド』(インプレスジャパン)。

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