日々の鍛錬は怠らず、今までにない新しい表現を貪欲(どんよく)に探る

 電通のアートディレクター川腰和徳氏は、富士急ハイランドをはじめ数多くの広告キャンペーンのほか、近年では湖池屋の企業ブランディングやCI、パッケージデザイン、CMやPV映像の企画制作など幅広く手掛けている。入社1年目で朝日広告賞の一般公募の部に応募し、グランプリを受賞。人の目を引くアートディレクションには定評がある。アートディレクターとしての才覚を早くから発揮し、活躍の場を広げている。

若い頃の苦労がアートディレクターとしての筋力に

──広告業界を目指したきっかけは。

川腰和徳氏 川腰和徳氏

 子どもの頃から絵を描くことが好きで、得意でした。憧れていた人は漫画家の手塚治虫さん。漠然と「ものをつくる仕事がしたい」と思っていたので、高校卒業後の進路は美術大学に決めていました。東京にある美術大学受験のための予備校に通うため、地元の鳥取でアルバイトをしてお金をためて、1年後に上京。予備校に入学したら、世の中には絵のうまい人がたくさんいることが分かり愕然(がくぜん)としました。それまで自分は「日本一絵がうまい、天才かも」なんて思っていました(笑)。上京早々挫折感を味わったのを覚えています。受験は東京藝術大学一本に絞って、何の援助もなくバイトをしながら、家賃2万円のアパートに住み5年間浪人したが合格できなかった。そして、多摩美術大学グラフィックデザイン学科に入学しました。

 正直なところ、浪人3年目以降は心が折れていました。しかし、美術大学に入学することを諦めなかったのは、アートディレクターとして活躍する方々の仕事を見て刺激を受けていたからです。特に印象的だったのは、SAMURAIの佐藤可士和さんが手掛けていたSMAPのキャンペーン。アートディレクションの力と可能性を感じ、いつか自分も佐藤さんのようなアートディレクターになりたいと憧れました。それがエネルギーとなり、自分を奮い立たせることができ、絶対に大学に入って、広告会社に就職してやろうと思いました。

──大学卒業後、27歳で電通に入社。

 入社して1年目に朝日広告賞の一般公募の部に挑戦し、大関「ワンカップ」の広告を制作して応募しました。それが、なんとグランプリを受賞。そのことが社内で評判となり、新人の頃から一緒に仕事しようと声をかけてもらっていました。富士急ハイランドの仕事もそのひとつです。鉄骨番長というアトラクションができた当時、入社2年目で初めてCMプランナーを担当しました。現在はアトラクション自体の開発など含め、幅広くお仕事させてもらっています。

※画像は拡大表示します

大関「ワンカップ」第56回(2007年度)朝日広告賞 第1部・一般公募の部 最高賞受賞作品
富士急ハイランド「鉄骨番長」(2008)
富士急ハイランド 富士急ハイランド「絶望要塞」「ネガティ部」「腹から叫ぼう。」「絶叫上履き」「絶景かな、絶叫かな」「絶叫学割」「テンテコマイ」

 新人の頃決めていたことは、声をかけてもらった仕事は断らず、どんな内容でも挑戦すること。経験が浅かったので、いろいろ苦労もありましたが、その頃の苦労がアートディレクターとしての筋力トレーニングになり、足腰が鍛えられたと思っています。

──2016年にリリースしたYahoo!JAPANの20周年記念企画「ヒストリー・オブ・ザ・インターネット」はニューヨークADC賞で金賞を受賞しました。

 「ヒストリー・オブ・ザ・インターネット」は、1969年から始まったインターネットの歴史上の事象をビジュアルで表現したものです。絵巻物のような横長のウェブサイトで、それぞれの事象をクリックすると説明文が出てくる仕掛けを考えました。世界のインターネットの歴史を網羅する内容なので、イメージは大航海時代の古地図。西洋風に仕上げました。イラストレーターの高橋杏里さんと若手のアートディレクターなどのチームをつくり、約1年かけて制作しました。

Yahoo!JAPAN「ヒストリー・オブ・ザ・インターネット」1.0MB

 Yahoo! Japanとは、5年ほど前から社内向けのポスターやチラシの制作などの仕事を手伝わせていただいていました。その流れで、20周年の記念に「これまでの歴史を振り返るような表現ができないか」と相談を受けました。クライアントとの関係性を地道に築き、さらに初めてクリエーティブディレクターとしてチームを率いた仕事だったので、完成したときは、これまでにない達成感がありました。

地方に眠る面白いコンテンツをどう全国に広めるか

──2017年5月11日付の北國新聞に掲載された「高等学校相撲金沢大会」の広告、「相撲ガールズ 82手」も話題となりました。

 相撲関係者以外にはほとんど知られていなかった、100年続く高校相撲の全国大会を盛り上げたいと北國新聞社から相談がありました。相撲を応援する2人の女性が、相撲の全82手を再現するという企画を考えました。新聞広告だけでなく、プロモーション用の映像も制作し、多くのメディアで取り上げていただき、情報を拡散させることができました。大会の認知拡大に貢献し、来場者が大幅に増えました。

※画像は拡大表示します

北國新聞社「相撲ガールズ 82手」

 北日本新聞社は、銭湯とゆかりの深い富山県のPRとして、「FUROjection TOYAMApping ~風呂ジェクション富山マッピング~」と題した新聞広告と映像を制作し、富山の魅力を伝えながら、人が集まる新しい銭湯をつくるという空間デザインに挑戦しました。

 こうした面白いコンテンツは、意外と地方にあったりします。それを全国の人たちに知ってもらうことは、その土地のPRになり、遊びに来てくれる人が増える可能性があります。広告会社のネットワークやクリエーティビティーを生かせば、地方創生にも貢献できると考えています。

──新聞広告の仕事も数多く手掛けていますね。

 地方紙が多いのですが、新聞とデジタルを連動させた企画を提案しています。紙面での表現は、もっとできることがあると思います。色々なアイデアは持っていますが、ここでは言いません(笑)。提案したいことはたくさんあります。

 今はメディアが増えているので、360度色々な表現の可能性がありますよね。広告会社でも職種が増えている。若いクリエーターにとっては、チャンスが多い。先人がまだ掘り当てていない場所は、まだまだ多くあるはずです。

──アイデアはどうやって生み出しているのですか?

「KOIKEYA PRIDE POTATO」 湖池屋企業ブランディングCI・商品開発パッケージデザイン「KOIKEYA PRIDE POTATO」

 「情報量こそがアイデアを生む」と思っています。今までにない新しいアイデアを生み出すには、どれだけ情報を得ているかだと思います。私の場合は、与えられたお題に対して、まずはできる限り情報を詰め込む。関係なさそうな情報でも、あればあるだけいいという考えです。そうやってリサーチした上で、既存のものと相対する表現を検証してみる。たとえば、湖池屋の「KOIKEYA PRIDE POTATO」のパッケージも、最もポテトチップスらしい表現と既視感のない見せ方、両方考えてみました。今あるものをできる限り見て、そこにないものを探ったのです。商品発売後、ポテトチップス市場最高の売上げを記録し、品薄となったために一時は発売休止に。2017年のグッドデザイン賞もいただきました。

 新しいアイデアを生み出すことは、才能というより、日々の鍛錬によって習得できる職人技みたいなものだと思っています。そして、子どもの頃に見ていた風景や好きだったことや考えていたことも、実はヒントになっているような気がします。私は子どもの頃から「こんなテレビ番組があったら面白い」とか考えたり、面白いものをつくったりして遊んでいました。その頃にやりたかったことが、今、仕事で考えているアイデアの裏側に潜んでいるのかもしれません。

──最後に、若手クリエーターに向けてのメッセージをお願いします。

 2016年、日清食品カップ焼きそば「UFO」の案件で佐藤可士和さんとお仕事させていただきました。SAMURAIで打ち合わせをしているとき、先が見えず苦しかった浪人生の頃を思い出し、感慨深かったです。上司のクリエーティブディレクター篠原誠さんが「人それぞれ調子がいいときもあるし、悪いときもある。旬が来るのが早い人もいれば、遅い人もいる。花の咲く時期は人それぞれ違う。『人は色々なんだ』だから焦る必要はなく、今できることをくさらずやる」という話をされていたことがあります。若手にとっては、刺さる話ですよね。私もとても励まされました。いつ花が咲くかは分からないけど、それまで頑張り続けようと思っています。いつか咲いたら出来るだけ長く咲いて居続けられるように、今のうちにしっかり根を深く生やしておけるようにしたいです。

日清食品「日清焼そばU.F.O エクストリーム」日清食品「日清焼そばU.F.O. エクストリーム」
日清食品「日清焼そばU.F.O. 未確認藤岡物体」※画像クリックで動画サイトが開きます
川腰 和徳(かわごし・かずのり)

電通 第3CRP局 アートディレクター・コミュニケーションデザイナー

鳥取県米子市出身。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後、2007年電通に入社。 朝日広告賞グランプリ/2017 NYADC金賞/ADFEST金賞 /ACC CM FESTIVAL金賞/Cannes Lions デザイン部門銀賞 /2017 GOOD DESIGN AWARD受賞など国内外の広告賞を数多く受賞。