異国の地でよみがえった、絵に対する純粋な思い

 イラストレーターとして、書籍の装丁画や雑誌の挿絵などを多く手がけている山下航氏。2017年3月に開催した個展「シアラの春」には、東インド、西ベンガル州のシアラ村での日々を描いた47点の線画を展示した。少ない色数と軽やかなタッチが印象的な作品からは、朗らかさやほのかなユーモアがにじみ出る。異国での創作の日々は山下氏にどんな思いをもたらしたのだろうか。

言葉を飛び越え、通じ合える「絵の力」を改めて感じた日々

※画像は拡大表示できます 3人の女性

──2017年3月に開催された個展「シアラの春」は、山下さんにとって初めての個展だったそうですね。

 2015年に、ある老舗のイラストレーションギャラリー主催のイラスト審査に応募したのですが、その後にギャラリーのスタッフの方に声を掛けてもらい個展を開くことになりました。展示したのは、イラスト審査に応募した作品と同じく、以前滞在した東インド、西ベンガル州のシアラ村でのスケッチを元に制作した47点を一から描き下ろしたもの。シアラ村で暮らす少数民族、サンタル族の人々の日常を描きました。

 作品はすべて手描きにスクリーントーンを貼ったものです。下絵をコピー用紙に描き、それをライトテーブルで透かしながら1枚1枚描いています。描く対象の「らしさ」を表現したいと思っているので、1本1本の線を描くときはかなり神経を使いながら集中して描いています。使った色は黒をのぞいて4色。空きスペースの大小や色の配分でずいぶん印象が変わるため、それらのリズムが納得いかないときは、何枚も描き直しながら制作しました。


──インドでの創作活動はどうでしたか。言葉が通じないことで不自由は感じませんでしたか。

シアラの春(上) 紅茶を飲む子どもたち(下)

 2013年の春、ある滞在型のアートプロジェクトに参加し、シアラ村で約1カ月間ひたすら絵を描くという経験をしました。そのプロジェクトというのは、たいやきを中心とした甘味処や居酒屋をつくり、現地の人々とコミュニケーションをはかるというものでした。アーティスト・三梨伸さんのチームスタッフとしての自分の主な仕事は、現地の人たちとスタッフが一緒に作ったお店の壁画を描いたり、ロゴを作ったり、というもの。インドといってもシアラ村は写真で目にする昔の日本の農村のようなのどかなところでしたが、気温は40℃を超える暑さ。毎日、Tシャツと腰布を巻き、画板をかつぎながら、村の人たちの似顔絵や風景など壁画制作に向けたスケッチをしていました。

 絵を描いていると、「どんな絵を描いているの?」「私を描いて!」と、子どもも大人も集まってくるんです。小学生の頃、同級生に囲まれながら絵を描いていた頃のようでした。自分が絵を描く理由は、絵を描くことが好きなのはもちろんですが、描いた絵を見た人たちが喜んでくれるのがうれしいから。そんな絵に対する純粋な気持ちを思いだしていました。

 もう一つ気づいたことは絵の力。絵を描いて「これ何て言うの?」と聞けば教えてもらえるし、似顔絵を描くために向き合った人とのコミュニケーションにも絵はとても役に立ちます。言葉を飛び越えて通じ合える、そんな絵の力を改めて強く実感しました。インドで使っていた画板は、今も現地の言葉のメモが残っています。


──現在、装丁画を多く手がけていますが、どんなきっかけだったのですか。

『英国一家、インドで危機一髪』 『英国一家、インドで危機一髪』
マイケル・ブース 著/寺西のぶ子 訳
角川書店・2016年3月刊

 実は、それも例のイラスト審査がきっかけでした。審査員の一人だった装丁家の鈴木成一さんが目に留めてくださったようです。連絡をいただいたときはとてもうれしかったですね。最初に手がけたのは、偶然にもインドを題材にした『英国一家、インドで危機一髪』(マイケル・ブース著)でした。

 個展には自分の絵に興味を持ってくれた人たちがわざわざ来てくれるという喜びがある一方、装丁画には日本全国の書店に並ぶ本という媒体を通じて、全く自分のことを知らない人に見てもらえるといううれしさがあります。


何を描くか? どう描くか? 柔軟に対応していく

──デザイナーからイラストレーターに転身したそうですが、どんなきっかけでしたか。

買い物を楽しむ人々

 兄が通うお絵描き教室について行ったのが2歳と聞いています。物心つく前から絵を描いていたようです。デザインにも興味があり、大学はデザイン科へ。卒業後はデザイン会社で企業のアニュアルレポートなどを作っていました。文字を組んだり、写真のディレクションをしたり、アートディレクター兼デザイナーという仕事でした。やりがいがあり大変勉強になったのですが、ちょうどその頃、初めての海外旅行へ行きました。イタリアとフランスでした。美術館や教会などで名だたる天才たちの作品を間近に見られたことはもちろんのこと、建築であったり、街で目にする書体の使われ方であったり、感じられることの多くに目から鱗が落ちたというか、驚きました。まさに美の洗礼を浴びながら湧きあがってきたのが、「創りたい」という思いでした。

──これから、どんな作品を手がけていきたいと考えていますか。

山下航氏

 装丁画の仕事はこれからも続けたいです。ストーリーがあって、そこに絵を描いていくという仕事は、学生時代にマンガを描いていたこともあって楽しく取り組めています。自分の絵が求められるのであれば何でも、どんな媒体でもやってみたいです。手に収まるところが書籍の素敵なところだと思うのですが、見上げるような大きなサイズなどの仕事にも興味があります。一つの作風にこだわることも大切だと思いますが、相手の求めに応じて柔軟に対応していきたいですね。それが自分の絵の可能性を探り、広げることにもつながると思っています。それがどんなものなのか、自分でも見てみたいです。


山下 航(やました・わたる)

イラストレーター

エンディングパラダイス『エンディング・パラダイス』
佐江衆一 著/新潮社・2018年1月刊

1979年、広島県生まれ。2004年、東京藝術大学大学院美術研究科修了。デザイン会社勤務を経てイラストレーターに。13年、インドでのアーティストインレジデンス「土のつわもの」にスタッフとして参加、現地で壁画やスケッチを描く。17年3月、東京・表参道で初めての個展「シアラの春」を開催。現在は雑誌やパンフレット、書籍などを中心にイラストを描く。装画を手がけた近著に『エンディング・パラダイス』(佐江衆一著/新潮社)がある。

Wataru Yamashita Illustration