一人ひとりが自分にできることで社会を変える「ソーシャルイノベーション」の実現を目指す

 ハンセン病支援、障害者支援、子ども支援、災害復興支援、刑余者支援、課題を抱える地域や国々への支援など、様々な人道支援を展開する日本財団。会長の笹川陽平氏に、活動にかける思いなどを聞いた。

──日本財団の取り組みは多岐にわたり、笹川会長自らも精力的に活動。2019年度文化功労者に選出されました。活動の原動力は。

日本財団 会長 笹川陽平氏笹川陽平氏

 私の活動の原点は、過酷な戦争体験です。1945年3月10日、東京大空襲に遭いました。2人の兄は学童疎開で仙台におり、私は母と2人で浅草の家で暮らしていました。空襲が激しくなり、母と私は近くの郵便局へ避難。ほどなくそこにも火の手が迫り、人々は隅田川へ。しかし子どもの私は泳げなかったせいか川に行くのを嫌がり、母とともに上野の山へ。この判断によって九死に一生を得ました。町内の人たちのほとんどは、火の川と化した隅田川で亡くなってしまったのです。

 避難する時、母は私に一升の米を背負わせました。家を消失しても食いつなぐためです。この米は空襲後にたちまち人に取られ、私は欠食児童となりました。体中に出た湿疹から蛆(うじ)がわく始末です。このような経験をしていますから、弱者救済への思いが私の根底にあります。

──個人や組織が身近にある課題を見つけてアクションを起こす「ソーシャルチェンジ」を提唱しています。

 今や国の借金は1,100兆円。そんな中でも社会課題は尽きません。例えば子どもの虐待。人づき合いが濃い時代は近所の誰かが気づいたものですが、今は発見が遅れることが多い。コミュニティーの崩壊が進んでいる表れでしょう。社会の多様化や複雑化が進む中、市民一人ひとりが国や行政の手が届かないところに目を向け、自発的に助け合う社会の実現を目指しています。

──「18歳意識調査」を行っています。

 18歳の若者が何を考え、何を思っているのか、「恋愛・結婚観」「働く」など様々な切り口からテーマを設定して調査し、結果を発信しています。先祖から受け取ったタスキをよりよい形で次の世代に渡すためにも、子どもや若者たちの声に耳を傾け、浮き彫りになった課題の解決に取り組んでいきたいと考えています。

──「よりよい社会のために新しい仕組みを生み出し、変化を引き起こすこと」、そのために「アイデアと実践を積み重ねていくこと」を活動ポリシーとしています。

 個人や組織の意識や行動の変化こそが、社会全体を変えていく出発点だと考えます。例えば、刑務所出所者や少年院出院者一人ひとりの更生を参加企業みんなで支える「職親プロジェクト」。政府は2014年に「犯罪や非行をした者の事情を理解した上で雇用している企業の数を増やす」と宣言し、就労支援の施策を強化しました。その結果、国に登録する協力雇用主数は増え、現在2万企業を超えています。ところがその大半が登録のみで、実際の雇用にはつながっていません。そこで日本財団は、中小企業を中心に出所者や出院者に親身になって寄り添ってくださる会社と連携し、社会復帰と自立更生を後押ししています。このように具体的な行動を起こし、法改正などが必要となれば国や行政に働きかけ、仕組みづくりに取り組んでいます。

──今年開催される東京パラリンピックの支援も行っています。

 私は2012年のロンドン五輪を見て、パラリンピックの成功なくしてオリンピックの成功はないと確信しました。日本の障害者スポーツは少しずつ理解と支援が広がっているものの、課題も多く残っています。例えば、法人格を持っていないパラリンピックの競技団体が少なくありません。専用事務所があるのは一部で、個人宅で代用している団体もあります。こうした現状では、競技の発展はもとより、パラリンピックに向けた準備にも困難が予想されます。そこで日本財団は2015年にパラリンピックサポートセンターを設立。共同事務所としての機能を充実させて競技団体の運営を支え、ボランティアの育成、英語資料の翻訳、パラリンピックの理解促進活動など、バックオフィスの役割を引き受けています。

──「True Colors Festival」開催の経緯について聞かせてください。

日本財団 会長 笹川陽平氏

 True Colors Festivalの原型となったのは、日本財団が海外における障害者支援活動の一環として行ってきた「国際障害芸術祭」です。障害のあるアーティストにステージ上で表現をする機会をつくり、多くの人に鑑賞してもらうことで、障害に対する意識の変化や自立に向けた後押しをすることを目的に行われました。10年以上をかけてラオス、ベトナム、カンボジアなど各地で国際障害者芸術祭を展開する中で、障害・性・世代・言語・国籍などを超えたコラボレーションが可能であり、それによって人の心に届く卓越した表現を生み出すことができるのではないか、という気づきがありました。

 昨夏から1年をかけて展開している「True Colors Festival」は、「障害」という看板を下ろし、多様な個性と背景をもつ人たちが共につくる「超ダイバーシティ芸術祭」として開催。障害の有無、多様な性的指向・性自認・性表現のあり方、国籍、言語、世代などを横断して、様々な人がその人らしい色合いを出しながら共に生きる社会の可能性を発信しています。※現在、2020年3月末までのイベントの開催を延期しています。

──活動していく上で、大事にしていることは。

 私はよく「左目は顕微鏡、右目は望遠鏡」と言うのですが、多角的な視点を持つと解決の道筋が見えてくる。加えて、困難に負けない情熱と精神力、成果が出るまでの持久力も大切。そして何より言行一致。口で偉そうなことを言っても行動が伴わなければ活動に対する共感は得られません。そのためには現場を見なくてはいけない。日々のことで言うと、私は職員の間にデスクを置いています。そうすれば現場で持ち上がっている問題がすぐにわかる。国際支援も必ず現地に赴くようにしています。

 つい先月は、ミャンマーの少数民族武装勢力支配地域を訪問しました。ミャンマー政府及びミャンマー国軍から正式な許可を得て同地を訪問する外国人は、ミャンマーの1948年の独立以来初めてということです。ゲリラの出没がある地域ですが、車1台で行きました。人間はいずれ死ぬんです。だったら死ぬ前に少しでも誰かの役に立った方がいい。

 ちなみに私は、紛争地などで「平和」という言葉は使いません。そこで暮らす人々は平和を信じられる状況ではないからです。平和という言葉を使う人はインチキだと思うほどなんです。日本人ほど平和という言葉を口にする国民はいないんじゃないでしょうか。平和な国だから、平和を信じられる。しかしそうでない人たちがたくさんいることを知ってほしいと思います。

──ハンセン病支援を長年続けています。

 1960年代よりハンセン病患者の支援に取り組み、画期的な治療薬であるMDTが開発されると、ハンセン病制圧を推し進めるため、1995年から5年間にわたりWHOを通して世界中に薬を無料で供給しました。これをきっかけに世界各国でハンセン病対策が進み、患者の数は激減。1985年には122カ国において未制圧であったものが、2018年末の時点では1カ国(ブラジル)を残すのみとなりました。

 とはいえ、道半ばです。ハンセン病患者や回復者に対する社会的・経済的な差別は続いています。隔離生活を強いられる、鉄道に乗れない、公共施設に入れない、結婚、就職、教育の機会が与えられない……。我々が差別撤廃を強く要請し、法改正に至った国もありました。2003年には国連人権理事会(当時は委員会)に対し、ハンセン病患者・回復者とその家族への差別撤廃の活動を開始。翌2004年の国連人権委員会で、国連史上初めてハンセン病問題を提起したスピーチを行いました。2010年には日本政府、外務省の協力により「ハンセン病患者・回復者とその家族に対する差別撤廃決議案」を国連総会で、すべての参加国(192カ国)の賛成で決議されました。

 また、フランシスコ・ローマ教皇がハンセン病を悪い喩(たと)えに使っていると知った時は、書簡で抗議させていただき、2016年にはローマ教皇庁と日本財団の共催で、ハンセン病と差別を考える国際シンポジウムをバチカンで開催することを提案。これが実現し、2日間の会議の最終セッションにおいて、「ハンセン病に対する偏見と差別の闘いでは回復者が主役となるようサポートする」「ハンセン病を悪い喩えに使わない」といった項目を連ねた「結論と勧告」が主催者、参加者によって承認されました。

 今までの海外での活動は545回3,354日となり、訪問国は122カ国、会談した大統領、元大統領、首相、元首相の総数は延べ458名となります。

 ハンセン病の取り組みは、病気の治癒と差別の撤廃の両輪で取り組んで行く必要があり、引き続き活動を続けていきます。

──愛読書は。

 『双調 平家物語』は、読後、「人間はいずれ滅びるのだから、悔いなく生きればよい」ということを深く胸に刻みました。『日本の近代』シリーズも良書でした。これは若い人に勧めています。歴史小説は吉村昭が好きで、『吉村昭歴史小説集成』を愛読しています。最近では、『江藤淳は甦える』。著者の徹底した取材姿勢に感心し、いろいろと気づかされる労作でした。

笹川陽平(ささかわ・ようへい)

日本財団 会長

1939年東京生まれ。明治大学政治経済学部卒。財団法人日本造船振興財団(現・海洋政策研究財団)理事長などを歴任。WHOハンセン病制圧大使、ハンセン病人権啓発大使(日本政府)、ミャンマー国民和解担当日本政府代表。ガンジー平和賞など多数受賞。2005年7月から現職。

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(全国版掲載。各本社版で、日付が異なる場合があります)

広告特集「リーダーたちの本棚」Vol.130(2020年3月18日付朝刊 東京本社版)1.3MB


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