──MaaSについて、御社の考え方、描くビジョンを聞かせてください。
畠山 社内にMaaSプロジェクトチームが発足し、4年ほど前から研究を進めていました。自動車業界は「100年に一度の大改革期」を迎えています。当社にとって、自動車メーカーはもちろん、交通や移動の領域のクライアントは多く、これまでは製品やサービスがどのように生活者を豊かにするのかを広告やマーケティングで提案し顧客を創造してきました。
しかし、自動車や交通の業界、産業の構造が大きく変わる中で、当社も事業の変容を余儀なくされることは間違いありません。当社のフィロソフィーである「生活者発想」と「パートナー主義」に改めて起点を置き、私たちが主体となって生活者発想の新しい市場を創造してクライアントと共創していくことが重要です。MaaSも、生活者発想によって解決し、地域交通の再編と再価値化することを目指しています。
──その取り組みの一つとして、富山県朝日町でマイカー相乗りサービス「ノッカルあさひまち」を町とともに進めています。経緯は?
堀内 日本においてどのようにMaaSを展開していくか、という議論になると、海外で導入されているプロダクトをそのまま持ってくればよいのでは、という流れになりがちです。しかし、情報収集や分析、決済まですべてデジタルで統合された超ハイスペックのプロダクトを日本で導入できるのは、交通網が発達している東京と大阪ぐらいしかない。一方で地方に目を転じると、公共交通をデジタルで統合するどころか、それ以前の問題を抱えている地域が山ほどあるのです。
私は京都出身なのですが、実家に帰るたびにバスは小さくなり、便数も減っています。その上、利用者も少なく、「空気を運んでいる」と言われるエリアも多数ある状態です。交通事業者が撤退して交通空白地帯が発生し、赤字のまま自治体がコミュニティーバスを細々と走らせている。ここを解決することこそが日本版MaaSには必要なのではないかと考え、「地方でのMaaS開発」にフォーカスすることになりました。
畠山 「ノッカルあさひまち」の実証実験を一緒にやったスズキの主戦場は地方が中心です。その地方の生活者を豊かにすることができれば、結果としてクライアントも弊社も、そして社会にとってもWin-Win-Winの関係になるのではないか、と。MaaSについても、先ほど触れた「生活者発想」と「パートナー主義」を徹底的に追求するため、市場分析やコンパクトシティーの学びなどを進めていきました。
全国の地方を堀内と一緒にまわり、その中でたまたま立ち寄ったのが富山県朝日町でした。人口は1.1万人で65歳以上が44%超と、県内で最も高齢化率が高く、消滅可能性都市とされた課題先進地域です。交通はバス3台、タクシーが10台だけしかなく、お年寄りを中心に移動に困っている町民がたくさんいる。対して自家用車は8,000台もある。これを活用する形で「地方版MaaS」を実現できないかと、役場、町内に1つしかないタクシー会社、町民のみなさんに文字通りひざを突き合わせてお話をうかがいながら模索し、検討を重ねました。
そして、自家用車を持っている町民の方が出かけるついでに、同じ地域の方を送迎してもらう相乗りサービス「ノッカルあさひまち」として、2020年8月から実証実験を開始。実際の運行も2021年10月からすでに開始しています。町民のみなさんが非常に危機感を抱いており、町長と副町長も「朝日町から日本の地方のお手本となるようなモデルを作っていきたい」という熱い思いを持っていました。弊社としても新しいチャレンジですから、思いが重なるパートナーと官民連携で挑戦できたことは非常に大きかったと思っています。
──「相乗りサービス」というアイデアはどこから生まれたのですか?
堀内 地方の交通問題の根幹にあるのはコスト問題です。民間のバス業者が撤退し、コミュニティーバスを運営している自治体は全国の8割にも及ぶと言われていますが、そのほとんどが収支率10-20%程度で、赤字は地方交付税交付金などで補填(ほてん)されていることが多い状況です。そんな財政状況を抱える自治体が数千万円もかかるようなソリューションを導入するのは無理な話ですし、新たな交通サービスを導入することでタクシー会社など地元の事業者がつぶれてしまったら、さらに住民の足が減ってしまう。
そこで注目したのが「8,000台の自家用車」でした。町民のみなさんの自家用車を活用して公共交通を運営できれば、車両費はかからず人件費も抑えられます。既存のコミュニティーバスやタクシーでは足りない部分を「ノッカル」がカバーし、地域全体で移動課題の解決を目指しました。
畠山 町民の方々のお話を聞くと、これまでも出かけるついでに近所の人を自動車で送ってあげることはあった、と。「お互いさま」「おせっかい」で支え合っていたのが、時代や社会の変化、そこにコロナの影響も相まって、人と人とのつながりが希薄になってきている。これまで当たり前のようにあったもの、未来にも残していきたいことを、徹底的な生活者発想でどう形にするべきか。それを考えていきました。
──運営には町民のみなさんの理解と協力が重要です。受け入れられた理由はどこにあると思いますか?
堀内 海外や都市部で展開するような高額でハイスペックのソリューションを持ち込まず、町にすでにあるものを活用してソフトウェアやサービスを開発した。僕らがソリューションを持っていなかったことが逆に強みになったのでは、と思っています。
サービスの利用者の平均年齢は82歳と高齢者が多く、ほとんどの方がスマホもネットも使っていません。そこで予約は電話でもOK、運行ルートやダイヤはバスを補完する形で設定し、決済方法も既存のバス券を活用するなど、お年寄りの手に触れる部分はとことんアナログで、ユーザーに馴染む設計を徹底しました。一方、住民ドライバーは比較的若い方が多いこともあり、ドライバーアプリを開発し、運行予定の登録、予約確認、安全面のためのアルコールチェックやデータ保存など、バックエンドは完全にデジタル化しています。乗り場はコミュニティーバスのバス停とし、同じ地域の知り合い同士が中心なので安心に利用できる。
「ノッカルあさひまち」は、そのシステムまで含めてすべて当社がオリジナルで開発しました。今後はもう少し汎用性を持たせようとは考えていますが、その地域や利用者になじまなければ持続するのは難しいと考えています。
畠山 町民のみなさんからは「ノッカルさん」と親しみを持って呼ばれています。そして、利用するお年寄りからも住民ドライバーの方たちからも「ノッカルさんのおかげで会話ができて楽しい」「人の役に立ててうれしい」と感謝の言葉をいただいています。単純にコストを下げ、下げた分、窮屈な思いをするのではなく、ローコストなオペレーションでエンパワーできる。私たちが目指しているのは「生活者エンパワーメント型の社会課題解決」であり、地域のみなさんが「便利」「楽しい」「幸せ」と感じてくれること。そこに理解と協力が得られたのではないかと思います。
また、新しいソリューションを持ち込むことはしませんでしたが、博報堂の活動の源泉でもあるマーケティング力やクリエーティビティーを生み出す能力は大いに活用しています。「ノッカル」のネーミングや周知のためのポスターのデザインなどもその一例で、結果として町民のみなさんに親しみを持って利用していただいていると手応えを感じています。
──反響、成果は?
堀内 利用者は月150〜200人ほど、これまでのべ人数で約3,000人が利用しています。これまで出かけられなかったお年寄りが「ノッカル」を利用して外出するようになったことで、バスやタクシーの利用率も上がっています。高齢者の免許返納も増えました。さらに「ノッカルあさひまち」の取り組みが、「令和3年度 デジタル田園都市国家構想推進交付金事業」において、Type3という全国6自治体の中の一つとして採択されました。
──今後の展開について聞かせてください。
畠山 朝日町では、「ノッカル」から派生し、地域のお年寄りが子どもたちに遊びを教えるなど、世代を超えた町民同士の学び合いサービス「みんまなび」や、それに伴う子どもたちの移動をサポートする「こどもノッカル」など多岐にわたっています。さらに、町役場の中に官民連携の部署「みんなで未来!課」を設け、教育DXやカーボンニュートラルへの取り組みも進めています。今後も朝日町と連携しながら、国が力を入れているデジタル田園都市国家構想の先進的な事例を目指していく考えです。
堀内 全国には人口5万人以下の自治体が約1,200もあり、全体の約7割を占めます。その多くが朝日町と似たような課題を抱え、少なくとも10年もすれば同じような状態になっているでしょう。朝日町での事例をさらに汎用性を持たせることで、地方の課題解決に寄与できればと考えています。
地方だけでなく、都市部でも人口がどんどん増えていた時代の「ニュータウン」の生活や社会インフラはすでにガタがきている。そのインフラの再編、もっと言えばかつての高度経済成長期に作られたインフラを、いま一度私たちの手で見直す時期が来たのではないか、と。少子高齢化がますます進む中で、これまでの世代に与えられた暮らしではなく、これからの時代に応じた暮らし方を、自分たちの世代でつくっていくべきだと思います。このミッションに一生を懸けてトライしたいですね。
畠山 日本のすべての人たちが住みたいところに住めるまちづくりには、すべての町が自立し、サービスの自給自足ができる状態にならなければ、と考えます。人口が減っていくにもかかわらず、公費におんぶにだっこの運営では持続できない。この課題に対してみんなが工夫しない限り、先進技術などへの投資もできなくなり、日本全体の成長を止めてしまうでしょう。私たちは「地方における公共の維持」という目標に向かい、これからもチャレンジしていきます。