広告から見る英国EU離脱までの道のり

 ここロンドンでは、欧州連合(EU)からの離脱を問う英国の国民投票から1カ月が過ぎた今でも、人が集まるとこの話題になる。取引先から友人、周囲には残留派ばかりで、今回の離脱を憂う人が多い。そう、ロンドンでは残留派が多かったものの、イングランド北部、中部において圧倒的な離脱派の勢いに押されたことが、今回の投票結果の大きな原因と言われている。もともと地方都市に住む労働者階級の多くは、経済活動がすべてロンドンに集中している上、移民に仕事を奪われていると感じ、現在の暮らしに不満を持っている人が少なくない。くすぶっていた不満が、今回の投票を機に一気にあおられて燃え上がったという印象を受ける。投票前は、2014年に行われた、英国からの独立の是非を問うスコットランドの住民投票の時のように、最初は盛り上がっても結果的には現状維持に落ち着くだろうというのが大方の予想だった。

 6月23日の投票日まで、投票を促す広告などを含めると総額1億4千万ポンドを使ったといわれる今回の選挙キャンペーン。残留派と離脱派による広告合戦がどのような結果に結びついたのかをここで紹介しておきたい。

 まずは今回過半数以上の国民の支持を勝ち得た離脱派の広告。

「どちらのNHSにあなたは投票する?」

 「take back control(主権を取り戻そう)」というのが共通のキャッチフレーズで、「どちらのNHSにあなたは投票する?」というテレビCMは、離脱派の四つの公式国民投票キャンペーン団体が持つ放映枠で流された。NHSとは、ナショナル・ヘルス・サービスの略で、原則無料で受けられる国民保険サービスのことである。ちょっとした風邪から、がんの治療、出産費用まで基本的には無料で受けられるかなり優れた医療制度である半面、診察の予約をしたら2カ月待ち、ということもよくあるくらい混み合っているのが難点。そのため、富裕層は高額な私立の病院を利用する人も多い。離脱派は、この英国人の不満をうまく今回のキャンペーンに取り入れた。多くの移民も病院を利用するために、自国民である英国人が長時間待たされる現状のNHSと、EUを離脱し、移民がいなくなりスムーズに診察・治療が行われるNHS、どちらに投票しますか?と問いかけるものだ。そのほかにも、英国人労働者2人が、サッカー・ヨーロッパ・リーグの全試合結果の勝敗を賭けて見事に当たり、獲得した5千万ポンドで豪邸住まいが実現するというCMもあった。その中で2人は、「5千万ポンドって、英国がEUに毎日費やしていた金額と同じなんだって」と話している。

離脱派の広告 離脱派の広告

 プリントメディアの広告では、「トルコがEUに加盟する。(人口7,600万人)」と書かれた真っ赤な広告が目を引く。コピーだけではピンとこないかもしれないが、英国のパスポートをかたどったドアに入っていく足跡がデザインされており、今後トルコから多くの移民がやってくることを警告しているものだ。テレビCM同様、直接自分の生活に大きく関わってくることを訴えたものだ。

 それに対し、残留派の広告は写真やイラストを使ったイメージ広告が多い。一つ目の広告は、離脱派といえばこの人、と言われる、移民排除を掲げるファラージ英国独立党元党首の写真を使ったもの。鼻の下にかかるマイクの影がまるでひげのように見え、ヒトラーをほうふつとさせるようなものである。また、「リーヴ(離脱)をせずにリードしろ」というキャッチコピーで、イギリスがヨーロッパ大陸のリーダーであることを印象付ける広告もある。いずれにしても、コピーやデザインは優れていて洗練されており、「離脱してもいいのか?」と考えさせる広告は、残留派の多くをしめるロンドンの中流以上の階級を意識した作りだ。

 
 

残留派の広告

 この両派の広告を見ると、離脱派のキャンペーンの方が自分ごととして意識させる内容になっている印象を受ける。病気や仕事、治安など日々の生活で最も意識している懸案事項を、EUから離脱することですべて解決するという理想的な未来像を見せることで票を集めることに成功したのかもしれない。

 ちなみに両派が広告費に使った費用は、負けた残留派が2,620万ポンド、勝った離脱派はその半額にも満たない1,170万ポンドだったという。

離脱派の広告 離脱派の広告

 しかし今回の離脱派の広告は、おあとがよろしくないようだ。ポスターやバスにも印刷されていた「EUに費やしている3.5億ポンドをNHSに使う」という公約ともとれるキャッチコピー(写真参照)に対し、投票後に前出のファラージ元党首は、自分は約束したつもりはない、と言い始めた。そればかりか、そもそも3.5億ポンドをEUに使っているという試算が間違えているという話にまで問題は広がっている。ということは、CMの英国人労働者のつぶやき、「5千万ポンドって、英国がEUに毎日費やしていた金額と同じなんだって」もウソ、ということになるのだろうか。投票のやり直しを求める署名が集まったものの、もちろん覆ることはなく、残留派だけでなく離脱派にも「だまされたかも?」という疑念が残る後味の悪い投票となってしまった。新しい首相の元、今後どのように英国は動いていくのだろうか。筆者のような外国人にとっても居心地の良い国際都市ロンドンが変わらないことを望むばかりである。

(朝日新聞社 メディアビジネス局 ロンドン駐在 金井 文)