TFL(Transport For London: ロンドン交通局)は地下鉄、バス、自転車、船、ケーブルカーまで、タクシー以外のすべてのロンドン市内の“足”を取りまとめている。従って、徒歩や車で移動する人以外のほとんどが利用するわけで、その収益は決して少なくない。それでも、攻めの姿勢を崩さないロンドン市長のボリス・ジョンソン氏は、運賃以外からの収益を10年で35億ポンド(6,400億円)にするという目標を掲げ、次々にユニークな施策を打ち出している。
先日、東京メトロが高架下での野菜の栽培、販売を始めるという記事を読んだが、ロンドンでは同様の取り組みをすでに昨年スタートしており、ミシュランのスターシェフが参加するなど盛り上がりを見せている。一つ目のユニークな事例は、昨年のサッカーW杯の期間中に、試合結果をリアルタイムで駅構内に表示したサービスだ。新たな広告枠として、ロンドン市内の計140駅で、通常は電車の発着情報を表示する電光掲示板400カ所に試合結果を表示した。期間中の約1カ月余りで、速報を440万回も流したというから、サッカーファンの多いロンドンで受け入れられないはずもない。これには、スポーツ専門チャンネルのESPNが、協賛費用として10万ポンド(約1,800万円)をTFLに支払ったという。
昨年初めに、ロンドンのシェアサイクルのスポンサー、バークレイズ銀行の撤退について当コラムで紹介したが、新たなスポンサーが同じく金融機関のサンタンデールに決まった。7年契約で4,300万ポンド(約75億円)を支払ってスポンサーとなったスペインに本社を置く同行は、英国内の中小の銀行を買収して着実にシェアを伸ばしている。
同行はまた、世界ランキング1位のプロゴルファー、ローリー・マキロイやF1レーサーのジェイソン・バトンなど英国を代表するスポーツ選手を、企業の顔として広告塔に起用していることでも知られている。昨年の顧客増加数はトップだった(2015年1月22日付テレグラフ紙デジタル版)。今回のシェアサイクルのスポンサー枠は、「英国の顔」を目指すサンタンデールとしては願ってもないチャンスだったのかもしれない。
このシェアサイクルは、ロンドン市長の名前をとって、通称「ボリスバイク」と呼ばれているが、正式名称はバークレイズバイクから「サンタンデールバイク」になった。しかし、その呼び名が長く言いづらいことを懸念するスポンサーに、市長が「私がボリス・ジョンソンからサンタンデール・ジョンソンに名前を変えようか」などと言って喜ばせたという。
同行のコーポレートカラーは赤。最後までスポンサー枠を競ったとされているコカコーラ社も赤。これが偶然なのかどうかは不明だが、水色よりはロンドンらしい色のように思える。いずれにしても現在、その自転車や自転車を止め置くステーションが水色から赤に塗り替えられており、街の景色も少しずつ変化している。
4月26日に行われたロンドンマラソンは、東京マラソンよりも多い約38,000人が参加と規模も大きいが、そこに75万人もの観戦者も加わるため、街中が大変混雑する。そしてこの機会をTFLが見逃すはずもない。
今年で2度目の大会スポンサーであるネスレウオーターは、昨年と同じく「バクストンウオーター」という自社のミネラルウオーターを出場者に配布するだけでなく、なんとコースの一部となっている「カナダウオーター」という地下鉄の駅名を、「バクストンウオーター」に改名し、駅名の看板も見事に変身させてしまった。ホームにある路線図までちゃんと変えているあたり、非常に芸が細かい。今までに例のない地下鉄とのこのコラボに支払った金額は約11万ポンド(約1,900万円)、1日限りとはいえ高くない出費かもしれない。
いろいろなものがメディアとなり得る今日、このようなTFLの取り組みには感心させられる。先日筆者が参加したカンファレンスで、国籍、居住地、性別、年齢、家族構成、職業などが違う生活者の広告マーケティングを検証するワークショップがあった。各グループが生活者の行動パターンを分析し、起床から就寝までに接触すると思われる広告メディアを発表したのだが、すべてのカテゴリーの生活者が接触した広告メディアは唯一「屋外広告」だけだった。文明が進化したとはいえ、「どこでもドア」がまだない今日、人が生活をする限り、外に出て様々な広告を目にする機会があると考えると、ロンドン中の人々の“足”を押さえているTFLの増収へのアイデアはまだまだ尽きそうにない。
(朝日新聞社 広告局 ロンドン駐在 金井 文)