1月7日に起きたシャルリー・エブド社襲撃から1カ月以上経って訪れたフランス・パリ。聞いていたほどにはものものしい雰囲気を感じることはなかった。それでも、シャンゼリゼ通りにある大型書店などでは、入り口に立つ警備員が客のかばんをチェックするなど、今までなかったようなことも行われているのが事実である。街中に「Je suis Charlie(私はシャルリー)」 の垂れ幕やポスターがあるのはもちろん、胸にバッジをつけている人も見かける。パリジャンたちがこの状況をどう思っているのかを聞いてみると、「今のパリは警官もたくさんいて警備も厳しいからいつもよりも安全なくらい。私たちはこれからも何も変わらない」と話してくれた。
英国もまた他人ごとではない。なぜなら、英国からシリアやイラクに行っている「イスラム国」の戦闘員は約2千人とも言われ、その中でも数々の人質殺害に関与しているとされている、ロンドンの高級住宅街に住んでいた元ラッパー、「ジハード・ジョン」の存在は連日大きく報道されている。
1月14日、シャルリー・エブド紙は事件後、初めての号を発行した。ロンドンでもすぐに完売してしまい、現物を目にすることができたのは、増刷したその週末だった。それまでは実売が3万部ほどだった同紙は、最終的に、この号を最終的に800万部以上販売し、少なくとも1千万ユーロの利益があったという。ちなみに広告は1ページも掲載されていない。
それほどまでに注目された同紙の、とくに預言者を風刺した表紙は、ロンドン市民630万人のうち271万人を占めるイスラム教徒にとって、そのままやりすごせる話ではなかった。
2月7日、数千人ものイスラム教徒が、首相官邸のあるダウニング通りに集結し、「報道の自由をはき違えるな」「マナーを学べ」といったボードを持って抗議活動を行った。イスラム教と「イスラム国」が同じように扱われ、居心地の悪い思いをしていた彼らにとっても、今回の風刺画はやはり一線を越えた表現であると猛烈に抗議したのだ。
ただ、この抗議活動はイスラム教徒の多いロンドンだからであり、白人系英国人の人口が9割を超える郊外では全く事情の異なる事件が起きている。 ロンドン郊外のチェシャーはイスラム教徒が人口のたった0.3%ととくに少ない地域だ。昨年、チェシャーでは、雇用支援センターがイスラム文化センターに変わることが決定された際、ナチスドイツを想起させる「かぎ十字」や白人至上主義者集団クー・クラックス・クラン(KKK)のシンボルマークの落書きや豚の頭を置かれるなどの嫌がらせが続いた。
移民、異教徒に対して反感を持つ過激な差別主義者が存在する地域では、警察が、パリの襲撃事件をきっかけに犯罪が発生しないかと警戒し、街中のキオスク(小規模商店)に対し、シャルリー・エブド紙を購入した人の名前や住所などの聞きこみ捜査をしていたとガーディアン紙が報道した。警察は、すぐに行き過ぎた捜査であったと謝罪したものの、同紙はこの捜査を痛烈に批判した。
今回の報道は、シャルリー・エブド紙の購入者が、警察が捜査していることを聞き、ガーディアン紙に知らせたことから明らかになった。なぜガーディアン紙だったのか。購入者はその理由として、直前に同紙が掲載した全面広告を見たからだと語っている。「報道の自由」を貫く姿勢を応援するという趣旨で、2種類のブローチを販売し、その売り上げ全額をシャルリー・エブド紙に寄付するという自社広告を掲載していたのだ。
報道の自由や表現の自由の基準を定めるのは容易なことではない。その国に住む人々の人種、宗教によっても大きく変わってくるだろう。先日、国境なき記者団が発表した報道の自由度ランキングで、日本は順位を2つ下げ、61位だったそうだ(2月13日付朝日新聞朝刊)。昨年12月に施行された特定秘密保護法が影響しているというが、思ったよりも日本の順位が低いと感じた人もいるのではないだろうか。報道の自由とは、他国の状況と比べることで初めてわかるものかもしれない。
このコラムは報道記事ではないが、英国をはじめ欧州で起きている出来事を、これからも広告という視点からより多く、皆様にお伝えしていきたい。
(朝日新聞社 広告局 ロンドン駐在 金井 文)