「いやよ、いやよ」も好きのうち? ~マーマイトのキャンペーン事例~

 ロンドン駐在が決まり、今号から本コラムを担当することになった筆者は、英国と聞けば容易に想像されるであろう「本当にマズいご飯」に、期待と不安を胸に抱いてやってきた。それが、である。渡英してパブで食べたフィッシュ&チップスは、サクっと揚がった衣とビールがこれでもかというほどマッチ。またボリューム自慢のイングリッシュブレックファーストに欠かせない、ドロっとしたベイクドビーンズも、その横に添えた真っ黒でいかがわしいブラックプディング(豚の血とオートミールなどの練り物)も、見た目を裏切るマイルドな味ではっきり言って好みだ。英国のご飯は拍子抜けするほど、けっこう、いや、かなりおいしいのである。おいしいという味覚は人それぞれなので、押しつけるつもりはないが、渡英して1カ月半、筆者は毎食のイギリスご飯を楽しんでいる。

※画像は拡大表示します。 マーマイト マーマイト

 ただ、そんな中でも誰もが「好き」か「嫌い」かを確認し合う食べ物がある。「マーマイト」である。ビールの酒かすを原料にした、主にトーストに塗って食するペースト状の発酵食品だ。何しろ味も香りも強く、スプーンの先をちょっとつけてから持ち上げ、滴り落ち切ったところをトーストに塗る程度で十分に存在感を発揮する。筆者も、瓶のデザインのかわいさと、まるで黒蜜のような見た目につい油断してフタを開けてしまい、その強烈な匂いに衝撃を受けた一人である。

 そんな「マーマイト」だが、今から100年以上前に誕生した歴史ある食べ物で、初期の広告は、時代背景もあり栄養を訴求した内容だったようだ。しかし1966年からは「好悪」がはっきり分かれる特徴を生かした「Love –it, Hate-it」キャンペーンをスタート。90年代に日本で、「まずい~もう一杯!」という青汁のテレビCMがあったことを思い出す。

ガーディアン紙に掲載された特集告知 ガーディアン紙の特集告知

 マーマイトのマーケティングはソーシャルとの相性も良く、フェイスブックには約100万人のファンがいる。「好き派」「嫌い派」の両ページを作って討論させたり、ファンの投稿写真から「今月のマーマイトlover」を選んで発表をしたり、ついシェアしたくなる手法がうまい。

 ところで、「マーマイト」はその強烈な個性から、記事として、また、時には他社のキャンペーンに使われることもある。「マーマイト・ポリティシャン」といえば有権者の好悪が分かれる政治家を指す(朝日新聞2013年2月4日付朝刊)とヨーロッパ総局長の沢村氏が書いている通り、「マーマイト」は好きか嫌いかが分かれるたとえにも使われる。右記の、ガーディアン紙に掲載された、故サッチャー氏の特集告知がまさにそうだ。商品ロゴの「MARMITE」を「MARGARET」とし、本来は「RICH IN B VITAMINS」などの栄養表記がある部分を「CONTAINS IRON」としているところも秀逸。賛否両論ある彼女をリベラル派のガーディアンらしい切り口で表現し、話題になった。

マーマイト100周年のタクシー広告

マーマイト100周年のタクシー広告

 広告の世界では、「嫌われたくない」なら万人受けを狙う方が安全である。ただ、「嫌われない」から「好まれる」わけではないことも事実。皮肉が大好きな英国の国民性を意識した自虐的ともとれるキャンペーンは非常に戦略的であり、その結果、ブランディングに成功している。だからこそシンプルでありながらも力強いメッセージ性を持つ広告が成り立つのだ。国民性の違いは広告のメッセージにも大きく影響する。今後もそんな海外の事例を皆様にお伝えしていければと思う。ちなみに、「マーマイト」の好悪をヨーロッパ総局内10人に聞いたところ、2人いる英国人のうち一人は「大好き!」と答え、もう一人は「うぇ、大嫌い!」と答えた。8人の日本人の回答は、「好き」2票、「嫌い」3票に、まさかの「どちらでもない」が3票。白黒つけたがらない日本におけるマーマイトマーケティングのハードルは高そうだ。

 (朝日新聞社 広告局 ロンドン駐在 金井 文)