ベンチャー企業の聖地と言えば、シリコンバレーというイメージが強いだろう。私の周りを見ても、起業家はいるし、ベンチャー企業に勤めている人も多い。ベンチャー企業をサポートする個人投資家やベンチャーキャピタリスト、弁護士なども多くいる。「ベンチャー企業の聖地=シリコンバレー」という方程式は間違いなく成立している。ところがここ最近、シリコンバレーのように起業家が集まる場所が現れてきた。ニューヨークである。ニューヨークといえば、ウォール街を抱える金融の中心地、ファッションブランドやメディア企業の本社が多く、ベンチャー企業には縁がない場所と思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
米KPMG Enterpriseと米調査会社のCB Insightsが発行している「Venture Pulse Q1 2016」によると、アメリカにおける州別のベンチャー投資件数と金額は、シリコンバレーがあるカリフォルニア州が首位、2位にはニューヨーク州がランクインしており、マサチューセッツ州が続く。2016年の第1四半期における投資件数と金額は、カリフォルニア州が396件、68億4,400万ドルと、15年第4四半期(431件、68億5,900万ドル)からいずれもわずかながら減らしているのに対し、ニューヨーク州は149件、25億9,500万ドル(Q4'15は135件、14億7,900万ドル)と増やしている。
人々の生活に関係したものが多いのが、ニューヨークのベンチャー企業の特徴だ。
歩道などに設置されたネットワークカメラの映像から、画像処理技術を用いて歩行者数、自転車や車の交通量を算出し、都市計画や出店場所選定などに役立てているのは、ニューヨークに拠点を置くPlacemeterだ。12年の創業以来4回の資金調達を実施し、合計で784万ドルを調達している。シードラウンド(注)には、在サンフランシスコの日系ベンチャーキャピタルScrum Venturesが参加している。
すでにベンチャーと呼ぶには規模が大きくなっている感は否めないが、個人間送金の仕組みを提供するVenmoや、クラウドファンディングプラットフォームのKickstarterといった金融系サービスを手がけるものもある。
ニューヨークで起業数が伸びている理由のひとつに、州政府が14年に始めた「START-UP NY」という支援プログラムの存在がある。このプログラムは、州内の新規雇用創出を目的として始められ、大学などの教育機関内に設置されているインキュベーション施設など、州政府が指定する場所に法人を設立すると、州税、地方税、コーポレートタックス、セールスタックスなど、会社運営にかかる全ての税金が10年間免除されるというものだ。
教育機関が果たす役割も大きい。ニューヨーク市立大学大学院ジャーナリズム学科は、ニューヨーク・タイムズの社屋の数件隣にキャンパスを構える。ここでは11年から「持続可能なジャーナリズムの会社を立ち上げ、運営する能力を身につける」目的で、起業ジャーナリズムコースを開講している。毎年春学期(1~5月)に、経営学の基礎、ニュースの新しいビジネスモデル、ジャーナリストのための起業スキル、メディア系ベンチャー企業でのインターン、新規ビジネス立案など五つの科目が開講される。起業家によるピッチ(起業案コンテスト)などのイベントも開催しており、メディアビジネス領域での起業を目指す人のハブ役として存在を高めている。
マンハッタンに本部を置く有名私大のコロンビア大学では、経営大学院や法科大学院、工科大学院などが中心となって、卒業から5年以内、フルタイムで自身のビジネスに取り組んでいるなどの条件を満たした起業家チームが入居できるコワーキングスペースを運営している。ちなみに、シリコンバレーでもっとも注目されるベンチャーキャピタルファームの一つ「アンドリーセン・ホロウィッツ」の共同創業者兼ゼネラルパートナーであり、「シリコンバレーの顧問(コンシリエーレ)」と呼ばれるベン・ホロウィッツ氏は、88年にコロンビア大学のコンピューター・サイエンス学科を卒業している。
このような理由がニューヨークでの起業数の伸びを支えているが、一番の理由は人が集まることだろう。ニューヨークといえば金融の中心地であり、ファッションブランドやメディア企業の本社も多い。企業価値が10億ドル以上の未上場企業を、その希少性になぞらえて「ユニコーン」と呼ぶが、こういったベンチャー企業の多くは、技術そのものよりもアイデアとマーケティング力で成功を収めている。ベンチャー企業の成長に必要なマーケティング力を持っているのは、ニューヨークに集うビジネス経験豊かで業界に詳しい人々だ。ベンチャー企業にとって、ニューヨークは幅広い人脈形成が可能で、ビジネスをより早く成長させてくれるメンターを見つけやすい街なのだ。
「インターネットの登場以降、我々の生活を大きく変えるようなイノベーティブな技術は登場しておらず、いまは技術革新の『踊り場』に直面している」という意見がある。そういう意味では、多くの人が集まるニューヨークは、シリコンバレー生まれの最先端技術を人々の生活に浸透させるという点において、ベンチャー企業の聖地にふさわしいのかもしれない。
(注)シードラウンド:サービスのプロトタイプが出来たばかり、あるいはまだ企画段階など、サービスの種(シード)しかない段階で行う資金調達のこと。ここで資金を提供する人は失敗のリスクが高い一方、成功すると大きなリターンを実現することができる。
(朝日新聞社 メディアラボ 米シリコンバレー駐在 野澤 博)