COVID-19禍の影響で、シリコンバレー一帯に強制自宅待機命令(Shelter in Place Order)が発令されたのが3月17日。それからかれこれ3カ月半ほど、在宅勤務が続いている。最近は少しずつではあるが、事態収束の動きも出てきている。それでも、基本的には不要不急の外出を控えるという状態は継続されており、「第二波」も懸念されている。
人々の生活様式が強制的に大きく変えられ、それによって産業の成長も大きく変わらざるを得なくなった。プロスポーツもシーズンの中断や開幕延期など、メディア/エンターテインメント業界が受けている影響は甚大だ。一方、自宅にいる時間が長くなったことで、事業が大きく成長している領域もある。動画ストリーミングサービスもそのひとつだ。
このタイミングでサービスを開始したのがQuibiだ。Jeffrey Katzenberg氏とMeg Whitman氏という、ハリウッドとシリコンバレーのエグゼクティブによって設立され、サービス開始前に$1.8B(およそ1,923億円)も調達し、失敗などするわけないと思われていたQuibiだが、かなり苦戦しているようだ。
サービス開始直後170万ダウンロードと好調な滑り出しを切ったが、その後は減速。Sensor Tower社の調べによれば、この記事を書いている時点でのダウンロード数は290万(Quibi社は350万だと主張している)。90日間の無料トライアル(現在は14日間に短縮されている)なので、解約が可能となる7月上旬以降、この数字がどう動くのかが、今後を見極める重要な指標になる。
Wall Street Journalの報道によれば、PepsiCo Inc.、タコスのチェーン店「タコベル」を展開しているYum Brands Inc.、ハイネケンなどのビールを醸造・販売しているAnheuser-Busch InBev SA、小売り大手のWalmart Inc.などの広告主は、Quibiの視聴率が悪いことを理由に、広告費の支払いを先延ばしすることを模索しているようだ。
Katzenberg氏はNYTimesのインタビューで、スタートでつまずいているこの状況について「COVID-19禍のせいだ」と述べているが、他のサービスがユーザー数を伸ばしていることから考えると、かなり苦しい言い訳に聞こえる。
Quibiはいろいろな「こだわり」をもってサービスを始めたが、そのこだわりが、低調なスタートの原因になっている可能性がある。
Quibiがこだわったのが「スマホオンリー」「視聴時間10分以内」「圧倒的に質の高いコンテンツ」だ。COVID-19禍で在宅時間が圧倒的に長くなっている現在、コンテンツは結構おもしろいし、家にいるのだったら大きい画面で見ようというニーズが高いが、AirPlayなど大画面で再生する機能は、技術的に利用できないように制限していた。コンテンツはそのクオリティーにこだわっただけに、面白いものが多い。それだけに、小さいスマホの画面ではなく、テレビなどの大きな画面で見たいというニーズは高まった。家にいるならなおさらだが、大画面で見られない、ここで離れてしまったユーザーは少なくないように思う。Quibiもそこを重く見たのか、まずはAirPlayをサポートし、つい先日にはiOSアプリ版でChromecastもサポートされたと報道されているが(この原稿を書いている時点では、Android版でのChromecastサポートは実現されていない)、AirPlayを使って自宅のテレビに映そうと試してみたものの、何度やってもうまくいかなかった。
一方、コンテンツ数が少ないこともうまくいっていない理由だといわれているが、本当にそうだろうか。
Quibiより先にスタートしていた、ウォルト・ディズニー・カンパニーの公式動画配信サービス「Disney+」。実はDisney+のコンテンツ数も、そう多くはない。ところが、子ども向けのコンテンツが多く、そういったコンテンツは繰り返し見られるため、コンテンツ数がそう多くなくても十分だとDisney+の幹部は話している。さらに「シンプソンズ」という、アメリカでは絶大な人気を誇る短編アニメを独占契約している。独占契約のために年間$125M~$150M(およそ134~160億円)払っているといわれているが、十分元は取れているだろう。
そもそもストリーミング事業は、自社のエコシステムにカスタマーを連れてくる道具でしかないのかもしれない。Disney+は年額$69.99(およそ7,500円)。ディズニーランドの入場料よりも安価だ。コンテンツを安価に提供することでカスタマーと直接つながり、彼らの趣味嗜好を知り、一番のマネタイズポイントであるテーマパーク事業や商品開発などにつなげる。いわば、Disney+を効率の良い「集客装置」と捉え、リソースを注ぎ込んでカスタマーを増やし、彼らのニーズを知り、その知見を売上の大きいテーマパーク事業や商品開発などに生かす。メディア事業の基本をしっかりと実践しているわけだ。
実はこの戦略、ウォルト・ディズニー社が最近になって考え出したものではなく、創業者のウォルト・ディズニー氏本人が考えていたものだ。50年以上も前から「クロスプロモーション」を構想していたウォルト・ディズニー。「世界最強のメディア企業」と呼ばれるのもうなずける。
(朝日新聞社 メディアラボ 米シリコンバレー駐在 野澤 博)