6月8日に行われた英国総選挙は、単独過半数に達しなかったメイ保守党の「敗北」と、惨敗を予想されていたコービン労働党が改選時より30議席増やし「躍進」するという意外な結果となった。様々な理由が語られているが、ここでは両党のPR戦略を振り返りながら、選挙後に行われた各種調査結果も参照して、「広告」がどのように影響を及ぼしたかを検証してみたい。
英国の選挙は、日本と比べるととても静かだ。候補者の顔写真が並ぶ看板も見かけないし、「お願いします」を連呼する選挙カーの騒がしさもない。メディアをにぎわせるのは、メイ氏やコービン氏の行動や発言で、選挙戦の途中で各党はマニフェストを発表する。選挙期間中、新聞やテレビでいわゆる「政党広告」を見ることは一度もなかった。
この青と赤で色分けされた地図は、選挙当日に「THE TIMES」が本紙をラッピングした改選時の「メガ」議席マップだ。青は保守党、赤は労働党で、完全小選挙区制を採用しているイギリスでは、地域によって支持政党が完全に分断されていることが見てとれる。2015年の総選挙では、予想に反して保守党が単独過半数を確保した。マーケティングの専門家によると、保守党は労働党の約10倍、120万ポンド(現レートで約1.7億円)をフェイスブック広告に投下したという。その戦略は、票への影響が少ない85%の選挙区は無視して、勝負がきわどい他選挙区に住むターゲット(年齢、性別、既婚・未婚、子どもの有無、学歴、住居形態、宗教、職種、趣味などから選別)に対し、フェイスブック広告を投下するというもの。この戦略で、今回も保守党は労働党を圧倒するはずだったが、前回ほどに奏功しなかった。
年齢別投票先 青=保守党・赤=労働党 (出典:YouGov)
それは、労働党が相対的に投票率の低い若年層を取り込むことに成功したからだと言われている。「大学授業料の廃止」といった若者向け施策の効果だけでなく、グライムと呼ばれる音楽ジャンルのアーティストがSNSで支持を呼びかけたり、訪問地ではサッカー場を思わせるような「コービン、コービン」の声援が湧き起こったりした。100万ポンドを投下したフェイスブック広告だけでなく、ツイッタ―やインスタグラム、スナップチャットでもPRした結果、若者の間で“コービン現象”が起こった。ある調査機関の推計では、2015年総選挙と比べて、18~24歳の投票率は38%→54%、25~35歳は47%→55%と大幅に増えた(他の年齢層は2~3ポイントの増減)。
右上(本紙)
ある評論家は、人目に触れないデジタル広告を多用したPR戦略を「Invisible Election(目に見えない選挙)」と形容したが、派手な見出しで選挙報道をした新聞は、影響力を持ち続けているのだろうか? 英国では、大多数の新聞が選挙前に支持政党を明確にする。今回の選挙では、10紙の全国紙のうち、部数の多い「The Sun」「Daily Mail」など6紙が保守党を支持したが、保守党が議席を減らしたことやSNSに親和性の高い若者層が労働党躍進の原動力となったことを、新聞のメディア力が低下した結果とする見方もある。ただ一方で、フェイスブックでシェアされた党首関連記事の大半は新聞がオリジナルで、最も記事が拡散した上位2社は労働党寄りの全国紙だった。メディアの影響力についての明確な解は得られないが、選挙結果について議論するシンポジウムで一人の新聞記者が「プリントVSオンラインという議論は人を惑わす。要は信頼に足るブランドとしてエンゲージされるかどうかだ」と発言していた。この視点を大事にしたい。
(朝日新聞社 メディアビジネス局 ロンドン駐在 渡辺健司)