[広告クリエーター鼎談] 新聞広告のこれまでとこれから-メディアの質的側面を考慮したクリエーティブとは

伝えられないものを伝える活字媒体の力

  メディアの多様化と、それに伴う広告媒体としての今後の可能性を、プロの表現者たちはどのように見ているか。マスメディア、とりわけ新聞広告は今後、どのような方向に進むのか。 朝日広告賞審査員としても新聞広告と深くかかわってきた、梶祐輔氏、葛西薫氏、前田知巳氏という世代を代表する三人の広告クリエーターに語ってもらった。

 この『広告月報』の創刊は1960年だそうですが、その年は日本デザインセンターが設立されて(59年12月)、僕が本格的に新聞広告に取り組み始めた年でした。僕は新聞広告に特別な思い入れがあり、それ以来もっともエネルギーを注いできたつもりです。 マスメディアは物理的に大量の情報を、多くの人に届ける役割を果たしてきました。その中で新聞の特徴は、文字媒体だということです。最近僕は、『プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?』(メアリアン・ウルフ著)という本を興味深く読みました。人間のコミュニケーションが話し言葉だけの段階から文字による段階になって、はじめて豊かな連想、推論や洞察が生まれ、思想や哲学といったメタフィジカル(形而上学)なものも生まれてきたのですね。これは活字を使った媒体は、目に見えないものや数字に置き換えられないものに生命を吹きこみ、大ぜいの人びとに伝えることができるということでしょう。
さらに新聞広告は、写真やイラストといった視覚的な力も借りられます。そうやって新聞広告は、人間の心の中の問題まで踏み込んで情報を伝えてきたわけですね。

前田知巳氏(左)、梶祐輔氏(中央)、葛西薫氏(右) 前田知巳氏(左)、梶祐輔氏(中央)、葛西薫氏(右)

葛西 広告をつくる人間として、新聞広告は責任と喜びがとても大きな仕事です。かつては、「必ず届けられる」という前提に立って、新聞広告は「誰かが見てくれている」という実感が強くもてました。ただメディアの役割が拡散した中で、今は残念ながら新聞をみんなが見てくれているのかという疑いはあります。 
 広告というのは広告がヒットしてもしょうがないわけで、広告の根本にあるものが相手に伝わることが目的です。マルチメディアが情報の伝達をある意味スピーディーにし過ぎた中で、新聞だからできる表現や広告の可能性というのはまだまだあるはずです。
僕自身の仕事で、サントリーの「モデレーション・キャンペーン(酒は、なによりも適量です)」のように、二十年以上新聞のためだけにつくってきた広告があります。「伝え続けるべき」という企業の意思と、新聞という媒体が合っていたと思います。

朝日新聞『広告月報』第1号(1960年5月15日創刊) 朝日新聞『広告月報』第1号(1960年5月15日創刊)

前田 新聞広告は広告という以前に、いまだに一千万単位の人が、同じ日に同じタイミングで見る装置として存在している現実が自分には大きいですね。それでいつも「『アリーナ』ととらえないともったいない」と言っているのですが、そういう意識をもつと、何か新しいことができるんじゃないかと思います。
僕が「新聞いいじゃん」と思った出会いは、大貫卓也さんの「史上最低の遊園地。」(としまえん)です。あれを新聞でやるという開放感が、すごく刺激的でした。ですから新聞に対してはリスペクトというより、もともとフリーな気分が自分にはあります。実際、僕がやっている宝島社の新聞広告は、おそらく考査上、テレビCMでは許されないんですよ。

 おっしゃる通りで、新聞広告というのはいろいろなことができる可能性をもっているんですよ。その力をまだ使い尽くしてないと思います。今の世の中は、ますます説明が必要になっています。にもかかわらず、「どうせ読者は文字を読んでくれない」と、説明を放棄した広告が多い。それでは新聞広告がかわいそうだと思います。

進む個別化によって高まる共有体験欲求

2007年 12/9 朝刊 2007年 12/9 朝刊

葛西 広告を作る立場から言うと、僕は、まじめな広告を作りたいという思いがあります。その一方で、だからこそ紙面に、表現としての違和感を持ち込みたくなる。そうしないと、伝わるべきものが伝わらないんじゃないかとも思います。どちらにしても、新聞には特別なにおいがあるので、僕にとって他の媒体とは取り組み方が明らかに違う。
でも今は、広告媒体が広がりすぎたせいか、どれも同じ顔つきの広告に見えてしまう。広告の送り手が、なにか効果を急ぎ過ぎて、メディアと向き合いながら伝えることに流す汗水が少し足りないように思うのですが。
例えばこれは僕個人の感じ方ですが、新聞は腕の長さ以上に離して見ることができないですよね。ですから必要以上に文字の大きい広告は、僕は嫌いなんです。街頭のポスターとは違うんだから。なぜ遠くから見なくてはいけないような表現にするんだろうと。それと新聞には再現性の限界というものがあるわけで、だからこそメッセージが絞り込めて表現に豊かさが生まれたりするわけですよね。

2008年 7/27 朝刊 2008年 7/27 朝刊

前田 新参者のメディアだからできることもありますが、新聞という蓄積があるからこそできる新しいことがあるはずです。朝日なら、「朝日新聞グローブ(GLOBE)」がそうですね。あれはこの先の結果がどうこうではなく、今まで新聞がやってないことを、とにかくやり始めたことにすごく意味があると思います。
それとコンビニとウェブの発達で、個別化がもう加速度的に進んでいますよね。人間って面白いことに、個別化が進めば進むほど、共有体験欲求が強まるんです。そう考えた時、共有体験装置としての新聞にとって、これから何ができるかを考えてみるというのは、ひとつのクリエーティブのあり方でしょう。

葛西 前田さんの宝島社の仕事を拝見して思うのは、新聞広告というのは公の媒体だけど、同時に個人の発言でもあるということです。企業というくくりでしゃべっているのではなく、社長かもしれないし、外部の代弁者かもしれないけれど、一人の言葉でしゃべっていると思えるものは目をひきます。新聞の面白さというのはそういう個的になれる距離感でもあるし、それは紙媒体のもつ手触りの中で生きてくるものだと思います。

 広告メッセージとメディアの親和性や社会性の関係を考えた時、新聞広告とは何かという基本を考え直すことが必要になっているのではないでしょうか。世界経済の破たんの中で、今のマスコミには、企業の悪いニュースばかり報道する印象があります。この先、日本はどうなってしまうのだろうという疑心暗鬼の中で人々はメディアに触れ、萎縮(いしゅく)した心理の中で広告を目にしているわけです。こういう時代こそ、広告は企業の応援団になるべきなんですよ。経済面や政治面が暗いニュースばかりの時こそ、広告は明るくなくてはいけないと思いますね。

2008年 1/11 朝刊
2008年 8/30 朝刊
2/16 朝刊

新聞は目にとまれば長く付き合ってくれる

前田 実はほとんどの広告というのは、読者の目にとまってないと思うんです。ただ、新聞という媒体には、目にとまったら長く付き合ってくれるという面白さがあるんですね。ひとつ例を挙げれば、旭化成ホームズの広告は昔からうまいなあと思って見ています。あれは読んでしまう文字ですよね。家を買うつもりのないという人も、立ち止まらせる力がある。それはマスメディアの広告としても、新聞媒体の特徴をとらえているという意味でも優れていると思います。

 ご本人は口に出しにくいかもしれませんが、前田さんの宝島社の広告も無視することができない広告ですよ。

葛西 薬びんに並んでいる、本のタイトルを全部読んでしまう。コピーの口数は少ないのに、痛烈なメッセージがありますよね。

前田 宝島社に関して言えば、ここ数年企業が成長するにつれて、包括的に「大きい丸をとる」という要求が出てきました。最初の頃は新聞という「真面目(まじめ)」な媒体の中でエッジを効かせ、目立てばよかったんです。それが大きな丸を狙うとインパクトは薄まる可能性があるわけで、そこが難しくなっていますね。

葛西 インパクトや冒険ということでいえば、僕は梶さんの仕事を拝見していて、広告に対して緻密(ちみつ)に構築していく方だなと思っていたんです。ところが朝日広告賞の審査でご一緒すると、若いクリエーターの勢いや、感覚的な部分をとても応援していらっしゃる。そういったバランスのよさはどこから来るものなのか、うかがいたいと思っていたんです。

2008年 7/23 朝刊 2008年 7/23 朝刊

 自分としては、土台を作ることにこだわっているつもりです。土台がしっかりしていれば、後はどのようにも上に広げていけます。土台とは何かと言うと、「企業はこんなにいいものを作っています」、「こんなに一生懸命世の中のことを考えています」ということを、自信をもって伝えることです。クリエーターによる表現の工夫というのは、その上に積み上げられるべきものでしょう。
ところが今は広告の土台の部分が揺らいできている気がします。メディアが多様化する中で、表現の部分だけが一人歩きしている根無し草の広告が増えているように思えますね。

商品のもつ「理由」を伝え納得させる広告を

 ひとつの提言として、新聞広告は値段の安さで売る商品広告と決別すべきだと僕は思っています。小池一子さんが手がけられた無印良品の名コピー「わけあって、安い。」をもじっていえば、新聞広告は「わけあって、高い。」という商品を扱ってほしい。なぜその値段なのかという理由をきちんと納得させる役割を果たすべきで、それはテレビCMでは伝わらないことです。
行き過ぎた価格競争は企業を疲弊させ、安全や従業員の生活を脅かすだけです。「安ければいい」という妄想から脱却しなければ、グローバル経済の中で日本に未来はないかもしれません。私たちが大きな転換点にいるという意味でいえば、この不況は新聞広告にとってむしろチャンスだと僕は思いますね。

葛西 記事面のタイポグラフィのことなんですが、近年の新聞は本文活字の大きさや組み方を変えるなど、読みやすさに対する配慮が見えますよね。そういった小さな努力の積み重ねは素晴らしいと思いますが、もう少し読みやすさを意識したレイアウトになってもいいのではと思います。伝統的なよさは十分わかっているのですが。 
といっても紙面を雑誌化するとか、言葉遣いを安易に流行に合わせるということではなく、せっかくタテ組みの文字文化をもつ新聞に、今後も世代を超えてより多くの人々が親しむためにどうするかを考えていただきたいです。

広告化する社会に負けない広告を

前田 梶さんのお話を聞いていて気づいたのは、「その広告が、本当に人や世の中をクリエーティブにするか」という大前提を、意外と僕らは忘れているんじゃないかということです。というのも、今の世の中は、広告以外のことがどんどん広告化していますよね。
どういうことかというと、ネット上の言葉で人が死んだりとか、米国がオバマの言葉で一変したりとか、以前なら「つぶれる」という言葉とは無縁だった大学や自治体も、なんとか人を呼ばなくちゃとか、広告的なことが世の中ですごく大事になっています。ところが元祖の広告が、一番広告的でなくなっていると思うんです。そこのところのイマジネーションをもう一度働かせる必要があります。

葛西 不幸な出来事があると、自粛されるCMってありますよね。何かあれば自粛しなくてはいけない広告を元々作っていること自体が、どうかと思うんですよ。最初から作らない方がいいような広告が作られてしまうのは、誰が見ているのかの意識が足りないままだからだと思います。
新聞にしてもテレビにしても、マスメディアというのは、何百万という単位の人へ情報を発信するものですが、その何百万人も一人ひとりの集まりなんだし、70%の人に伝えればいいと考えれば、30%は切り捨てることになります。そろそろ広告もそういった数字の効率性ではなく、一人ひとりに伝えるんだという作り手側の意識や、相手に対してどれだけ伝えることができるかということをもっと考える必要があるのでしょうね。

 葛西さんがおっしゃったことは非常に大事ですが、そのためにはやはり企業のトップに、広告に対してもっと理解をもっていただくということが大切だと思いますね。その場その場で言うことが変わる企業を、生活者は信用しません。言い続けるということの大切さを、企業とクリエーターが共有することが必要です。

前田 経営者というのは、他の社員よりも断然いろいろなことを考えていますし、やりたいことがある人です。今はやりたいことがみつかりにくい時代だからなおさら、やりたいことのある人は周囲を元気にさせるんですね。 
ただ、今とてもやっかいなのは、「やりたいこと」をメディアを使って提示するにしても、広告以外で伝えようとするわけです。広告化するのでなく、記事化しようとする。これはお金をかけて情報を伝えるという広告が疑われているということかもしれません。 そういった状況を変えるには、いくらデータを並べても限界があるわけです。僕らがそれに対してできることは、「広告を打ったらこんなに効いた!」という成功体験を、クライアントに具体的にさせてあげることでしょう。特に若い世代に刺激的な体験をもたらすような広告がメディアに並ぶことは、次の世代のクリエーターを生み出すきっかけとしても非常に大切ですし、僕らにはそのバトンを次に渡すという役割があると思います。

梶 祐輔(かじ・ゆうすけ)

日本デザインセンター 最高顧問
クリエーティブディレクター

電通を経て、1960年日本デザインセンター創立に参加。コピーライターとして、アサヒビール、 野村證券、トヨタ自動車など各社の広告制作を担 当。主な著書に、『広告の迷走』(宣伝会議)など。

葛西 薫(かさい・かおる)

サン・アド アート・ディレクター

1973年サン・アド入社。 サントリーウーロン茶、ユナイテッドアローズなどの広告制作のほか、近作にSUNTORY、サントリー美術館の新CI、とらや東京ミッドタウン店、とらや工房のアートディレクションがある。また、映画・演劇の宣伝制作、装丁など活動は多岐にわたる。

前田知巳(まえだ・ともみ)

フューチャーテクスト
コピーライター/クリエーティブディレクター

1988年博報堂入社。1999年同社を退社し、2001年フューチャーテクスト設立。主な仕事に、宝島社、キリンビール、森ビル、シャープ、岩波書店、エンジャパン、日本医師会などの広告制作のほか、ユニクロをはじめ多くのコンセプトワークやネーミングを手がける。