サイバーフィジカル空間とは、今までは別々のものだった実世界(フィジカル空間)とサイバー空間とが融合することで創造される新たな空間体験の「場」のことを指します。今後、マーケティング・コミュニケーションや体験クリエーティブの領域においてもサイバーとフィジカルの垣根をまたいだ体験のデザインが必要になるはずです。
サイバーとフィジカルが融合した”体験の空間”
「サイバーフィジカル空間」の説明に入る前に、そもそも「CPS(サイバーフィジカルシステム)」という言葉をご存じでしょうか?Cyber-Physical Systemの頭文字を取って「CPS」。実世界(フィジカル空間)にある多様なデータをセンサー等によって収集してサイバー空間に送り、そのビッグデータを人工知能(AI)が解析、その解析結果をフィジカル空間にフィードバックするというような、フィジカル空間とサイバー空間を一つの”システム”として捉える考え方です。2016年に内閣府から出された未来社会のコンセプト「Society 5.0」でも中心的な考え方として位置づけられており、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステム」によって経済的発展と社会課題解決の両立を目指すとされています。
そして、「サイバーフィジカル空間」ですが、これはその「CPS」の考え方をベースに、フィジカル空間とサイバー空間を一つの”体験の空間”として捉えたものです。昨今、「メタバース」がバズワードとなって、サイバー空間上でも様々な体験が得られる環境が整いつつあります。例えばバーチャル空間のサービス上に実世界に存在するイベント会場が再現され、実世界でリアルタイムに行われている音楽ライブのイベントが同期してサイバー空間側でも再生されることで、実世界で楽しんでいる観客とそのバーチャル空間サービスにいる観客とが拡張的/仮想的に一緒になってその音楽ライブを鑑賞できる、といったことが考えられます。
新しい時代の体験デザイン、クリエーティブの未来とは?
米マイクロソフト社はサイバー空間とフィジカル空間の融合を「4th Wave of Computing(第4のコンピューティングの時代)」という言葉で表現しています。コンピューティングの歴史をひも解けば、軍や研究所にメインフレームと呼ばれる巨大なコンピューターが置かれた時代から、それが個人のものとなり(=パーソナルコンピューター)となり、今では手のひらサイズになって持ち運びさえできる(=スマートフォン)ようになりました。
サイバーとフィジカルの融合はさらにその先の、新しい時代の到来を告げるものとなります。ここからの5年〜10年のスパンで、我々の日常の生活は大きく変わっていくことになりそうです。例えば、商業施設が実世界の構造そのままにサイバー空間にも施設を構え、実店舗に置かれている商品がそのサイバー側の施設にも同期されるようになると、地球の裏側からVRで来店されたお客様を実世界の店員がAR技術によって接客するようにもなるかもしれません。そうなると、商圏の概念は消え、実店舗/MR店舗/VR店舗/EC店舗の役割をそれぞれ再定義した上で、お客様の買い物体験を磨き上げていくことが必要になるはずです。観光の分野でも、デジタルツイン(デジタル空間に再現された物理空間のコピー)が高精細化を進めていけば、Google Mapで地球の反対側を簡単に覗(のぞ)けるようになったのと同じように、我々はいつでも好きな世界遺産にVRでログインして、現地のガイドと会話しながらバーチャルな観光が楽しめるようになるでしょう。
その時、マーケティング・コミュニケーション、広告クリエーティブに求められるようになるのは一体何でしょうか?その答えを仮説として一つ挙げるならば、コミュニケーションが起こる瞬間に生活者が位置する”空間”を意識した体験のデザインが思い当たります。サッカーの試合後に流れるビールのテレビCMを例に取ります。従来は視聴者にキンキンに冷えたジョッキと喉(のど)越しのサウンド、つまりは視聴覚に訴えかけるシズルを伝えることが正攻法だったわけですが、例えばそのCMが放送されているテレビの前、つまりは家のリビングに、試合後の監督がジョッキを持って登場して、ソファに座る視聴者に乾杯を促してもいいかもしれません。あるいは、テレビから飛び出してきた3Dデータのボールをリビングの壁面に現れたゴールに蹴り込むことがキャンペーンへの応募となるような、身体性を伴った仕掛けによって視聴者の喉を生理的に乾かすことが新たな解法になるかもしれません。恐らく、その答えの可能性は無数にあることでしょう。マーケティング・コミュニケーションの新たな地平がそこには広がっています。
博報堂DYホールディングス マーケティング・テクノロジー・センター テクノロジスト
University College London MA in Film Studiesを修了後、2007年に博報堂入社。2018年より現職で、物理現実空間とサイバー空間とが高度に融合することで誕生する「サイバーフィジカル空間」において新たに創造される生活者行動やコミュニケーション、次世代サービスUX、体験デザインについて研究している。