物語の始まりは15年前の豪華客船での取材旅行から
──『鈍色幻視行』と、その作中作『夜果つるところ』を2ヵ月連続で刊行しました。その経緯をお聞かせいただけますでしょうか。
羽喰 今から15年ほど前の2007年、文芸編集部で文芸サイトを立ち上げることになりました。現在、運営している文芸単行本公式サイト「集英社文芸ステーション」の前身となるウェブサイトです。そのサイト立ち上げのタイミングで目玉となる小説を恩田さんに連載していただきたいと思い、ご相談しました。何か興味のあることや、気になっていることはないですか? とお聞きしたところ、恩田さんが「豪華客船に乗ってみたい」とおっしゃったんです。
一瞬、ハードルが高いかも・・・と思いつつ、豪華客船について調べてみたら、2人同室でのクルーズでいけそうだ、ということがわかりました。女性同士であり、私は恩田さんの作品を何作か担当させていただいていて、その時点でお付き合いは8年ほど。割と気心も知れていましたし、狭い部屋で2人一緒でも大丈夫ですかとお聞きしたところ、全然問題ないと言ってくださったので、2週間ほどのアジアを巡る旅のプランを立てました。
そのときの船旅が『鈍色幻視行』の設定に生かされています。事前に内容についての話は聞いていませんでしたが、恩田さんのこれまでの作品から、「場所」にインスパイアされる方だとはわかっていました。たとえば、作中に具体的な地名が出てこなかったとしても、あれはあの土地を舞台にしているのだろうなと想像できたり、匿名性の高い土地になっていても、特徴のある場所を描いていらっしゃったり。だからきっと船旅の経験がベースとなるような、何か面白いものが生まれるだろうと思っていました。
また、恩田さんは密室の状況でのミステリーも少なくない。そう考えると、船は最高の密室ですよね。海上の豪華ホテルとも言えるので、これに勝る密室はないな、と。きっと面白い作品が生まれるはずと編集者魂に火が付き、取材旅行を実現しました。とはいえ、作中作と2作刊行するといった、これほど大きな展開になるとは思っていませんでした。
──2週間の船旅で、特に印象に残っていることはありますか。
羽喰 恩田さんと2週間一緒に過ごしてみて、作家は何もしていないように見えても頭は常に動いているな、と感じました。作品には乗客の様子や、船内で働く方々、船のディテールなども描かれています。取材時、恩田さんは写真を撮るなどはしていましたが、あくまでも乗客として船旅を楽しんでいました。だけど、旅行後に話をしたときも「写真で撮っていなかった細部やエピソードまで覚えているんだ」と驚くことがありました。
──連載期間が15年間というのは長いですね。
羽喰 そうですね、かなり長いです。皆無ではないと思いますが、とても珍しい。長期連載の場合、途中で、担当が異動したり退職したりすることも少なくないと思うのですが、私は幸いにもほぼずっと担当でいられました。また、小説に関する小説や、小説の中で小説をつくるといったストーリーはありますが、作中作(作品内に登場する作品。登場人物が書いた小説など)を全編書いて出版することもめったにないことだと思います。
──作中作はどういった経緯で生まれたのですか。
羽喰 『鈍色幻視行』の冒頭に、作中作である『夜果つるところ』の一節が出てきます。きっと恩田さんは作中作が生まれた時点で、ちゃんと書き上げたいと思われたはずです。ただ、本編と作中作を並行して書くのは難易度が高い。ご本人も本編とは別で書いたほうがいいという判断をされて、本編とは別に作中作も連載しました。
作品の世界観とスケール感を伝える豪華客船でのインタビュー
──『鈍色幻視行』の発売日の5月26日、朝日新聞に新聞広告を掲載しました。広告メディアとして、朝日新聞を選んだ理由を教えていただけますか。
平 恩田さんには、多くのファンがいらっしゃいます。書店員の方々にもファンが多く、『夜のピクニック』(新潮社)と『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)は、本屋大賞も受賞されています。そして、『鈍色幻視行』は、650ページ以上の大作なので、まずは本が好きな方々に恩田さんの新作が出ることや、その本の世界観を届けたいと考えました。活字慣れした方々に知ってもらうなら、やはり新聞広告が最適です。特に朝日新聞は、書店員の方々をはじめ、本好きが読んでいる認識があることから、相談させていただきました。
──具体的に広告の企画はどのように考えられたのでしょうか。
平 『鈍色幻視行』の舞台である豪華客船の存在はもちろん知っているけれど、乗ったことはなく「どんな感じなんだろう」と考え、そこから豪華客船の船上で恩田さんを撮影するアイデアが生まれました。朝日新聞の担当の方にその話をしたら、朝日新聞社のつながりから、商船三井客船で実現できそうだと連絡をくれたのです。羽喰をはじめ文芸編集部に伝えたところ賛同してくれて、恩田さんも撮影に協力してくださることになり、そこから具体的に企画内容を詰めていきました。
羽喰 『鈍色幻視行』の装丁については、恩田さんからカバーの写真やイラストに作品内容が想定される具体物を出さないでほしいというリクエストがあり、抽象度の高い表現にしました。それに対して、宣伝は「アガサ・クリスティー」というキーワードを出したんですよね。
平 抽象度の高い装丁はとても魅力的なのですが、書店では直感的に「どういう本なのか」を伝える必要があります。『鈍色幻視行』は、ミステリーといってもホラーや幻想小説、大人の心理小説の側面もあり、一つのカテゴリーでは括ることはできないところが特徴でもあります。それをもし一言で表すとしたら、アガサ・クリスティーの世界だと思ったんです。その世界観をテーマに、プロモーションを考えていきました。
──恩田さんのインタビューを記事体広告にした理由は。
平 小説に対する思いや『鈍色幻視行』と『夜果つるところ』の関係性など、どんなに私たちが熱弁しても、恩田さん自身の言葉にはかないません。恩田さん自ら船上で語っていただくことで、小説の世界観もより伝えられると考えました。本の発売情報も入れたうえでしっかりアピールするために、全15段のうち、上10段は記事体広告、下5段は純広告という構成にしました。
今回、新聞広告の内容は、朝日新聞社が運営する本の情報を集めたサイト「好書好日」にも掲載しています。インタビューの模様は動画でも撮影し、恩田さんには本の朗読もしていただきました。動画は集英社の特設サイトと、「好書好日」のYouTubeチャンネルで公開、書店の店頭でも流してもらっています。
──朗読を通じて伝えたかったことは。
平 豪華客船でのクルーズ旅行が物語の設定なので、まずそこを伝えたいと思いました。ポイントは結論ではなく、始まりを感じさせること。恩田さんが15年をかけて書き上げた超大作で、これから長い航海が始まるというメッセージを届けるために、出航のシーンを朗読していただきました。小説を書いた著者自身が読む、テンポや間合いも見どころです。
──恩田さんはテレビやラジオなどにご出演されることが、ほとんどありません。とても貴重な機会ですね。
羽喰 メディアにお顔を出されないということではないのですが、動画で恩田さんを見る機会は多くはないはず。今回はご協力いただくことができました。
平 ファンにとっては、驚きですよね。紙とウェブ、動画を連動させた大々的なプロモーションを通じて、恩田さんの特別な作品が出版されるスケール感も伝えられたのではないかと考えました。1人の著書で15段広告も弊社では久しぶりのことです。
記事の内容やインタビュー動画は、好書好日でも公開中! 詳しくはこちら
朝日新聞社のネットワークでワンストップのキャンペーンを実現
──商船三井客船「にっぽん丸」での撮影で工夫されたことや意識されたことは。
平 紙面を見た人のイメージが広がるように、新聞広告にはできるだけ豪華客船のリッチで美しい空間が感じられる写真を掲載しました。特に丸窓は豪華客船らしい佇まいで、とても印象的です。インタビューは、丸窓を背景に入れて撮影しました。そのほか、小説の中にも出てくる図書室やロビーなども撮影したのですが、そこが豪華客船の中であることが伝わるように、空間や船から見える海なども含めるように工夫しました。
羽喰 前日まで晴れていたのですが、その日の天気は雨だったんです。甲板での撮影も予定していたので残念に思っていたら、丸窓から見た海と空の色が、まさに「鈍色」。小説の中で描写されているとおり、海と空の境界線が溶けてあいまいになっていました。雨だったことでむしろ、小説の世界観が伝わったような気がします。天気も味方してくれました。
──広告の反響は、いかがでしたか。
平 発売初日から売れ行きは好調です。SNSでも15段広告について投稿している方もいました。新聞広告だけでなく、ウェブと動画を連携したプロモーションが奏功したと評価しています。商船三井客船の「にっぽん丸」での撮影が実現できたのは、朝日新聞社のネットワークがあってこそ。しかも、一連のプロモーションを朝日新聞の担当の方を中心に、ワンストップで一緒に取り組めたことは、とても心強く有り難かったです。
──6月26日には作中作の『夜果つるところ』も発売となります。
羽喰 恩田さんは『鈍色幻視行』に登場する小説『夜果つるところ』の著者、飯合梓になりきってお書きになりました。そのストーリーを装丁で体現するために、カバーはリバーシブル仕様にして、著者名のほか、出版社名や発行者名も変えて2パターンつくりました。作中で装丁の色やデザインに少しだけ触れているので、装丁家の方はそこから具体的にイメージし、デザインしてくださいました。
──最後に新聞広告を活用して今後、何か挑戦してみたいことなどあれば教えてください。
平 新聞広告ではARを活用して、読者が楽しめるような体験型のプロモーションにも興味があります。作品を読む前だけでなく、本を読んだからこそ体験できるキャンペーンなども挑戦してみたいと思っています。