弁護士法人 平松剛法律事務所はブランディングに取り組み、ブランドメッセージやステートメントを制定した。それをもとに、新聞とテレビを中心にブランド広告のキャンペーンを実施。2023年5月28日、同11月12日に、朝日新聞朝刊に全15段の新聞広告を掲載したところ、その直後からホームページのアクセスが急増し、4ヶ月間ほど法律相談の問い合わせも伸長した。ブランディングおよび広告の方向性を決定づけたのは、社内外で実施した調査データだったという。同法律事務所の代表で弁護士の平松剛氏と、マーケティングを担当する、佐藤隆宏氏と池田祐子氏、上畠朋氏に、ブランディングに取り組んだ背景や調査結果、新聞広告の制作プロセスなどについて聞いた。
調査結果から見いだした競合との差別化のポイント
——ブランディングに取り組まれました。その理由を教えてください。
平松:これまでタレントを起用した具体的な相談内容を紹介する案件広告などを、新聞やテレビ、ラジオ、ウェブなど、さまざまなメディアで展開してきました。出稿直後は反響があるものの、長続きせず、行き詰まりを感じていました。また、新型コロナ禍以降、人材採用も難しくなり、何かしら差別化を図るべきだとも考えていました。その方法として考えたのが、ブランディングです。目的は、売上ではなく組織を強くすること。ただ、私はブランディング未経験だったので、まずはチームづくりから始めました。そして、マーケティングチームのリーダーとして採用した佐藤の後押しもあり、ブランディングに本格的に取り組むことになりました。
――具体的にはどのように進めていかれたのでしょうか。
佐藤:一般的に、法律事務所のことを詳しく知る人は少ないと思います。私自身、法律のトラブルを抱えた方々が、どういう思いで法律事務所を選ぶのか想像ができませんでした。そこで、まずは調査から始めることにしました。最初に実施したのは、社内調査です。全国13の拠点で働く弁護士や事務員が、今、事務所をどう思っているか、将来どんな事務所にしていきたいかなど、それぞれの思いをくみ取るために、リアルとオンラインでブレストを実施しました。それと並行して行ったのが、生活者調査です。
マーケティングを担当する(右から)池田祐子氏、佐藤隆宏氏、上畠朋氏
調査をしてわかったのは、生活者のほとんどが法律事務所のことを知らない現実です。世の中にある法律事務所の名前を知っている人の割合は16%。つまり84%の人は法律事務所の名前を一つも知らないということ。この状況は、いざトラブルが起きたとき、どこに相談していいかわからず、検討基準もないということです。こうした結果をもとに、マーケティングチームで方向性について何度も議論しました。
――調査をもとにブランディングの方向性を決めていかれたのですね。
佐藤:弁護士に対するイメージ調査も行いました。すると、上から目線であるとか、壁を感じている人が少なくなかった。また、過払い金など連呼型の広告が世の中に多く出回り、それらにもネガティブな印象を持つ意見もありました。そういったイメージが、生活者から法律事務所を遠ざけている可能性もあるはずです。調査結果から見えてきた課題から、「しっかり依頼者と向き合う」という自分たちのスタンスを出すことで、事務所の特色が伝わっていくのではないかと考えました。
新聞広告で長文メッセージを掲載した理由
――「人として、人と向きあう。」というブランドメッセージは、どのように考案されたのでしょうか。
平松:広告制作会社のライトパブリシティさんに協力していただき、あらためてスタッフへのヒアリングを実施しました。そのとき出てきたのが、「人」というキーワードです。
私はご依頼者から相談を受けたとき、その被害の内容が、素朴な人としての感覚から明らかにおかしいことでしたら、「それはあり得ないですよ」と率直に伝えるようにしていました。私たちを訪ねてくる方々は、当然ですが何かしらのトラブルや困りごとを抱えています。その内容があまりにも常識はずれであると、ご依頼者は「もしかしたら自分の感覚が間違っているのかもしれない」と思ってしまうことがあります。だからこそ客観的に「いやいや、あなたがおかしいのではないですよ」と伝えてあげることが重要で、ご依頼者はそれだけで肩の力が抜け、安心していただける。この話は以前からスタッフに伝えていて、人というキーワードが出てきたということは、私の言葉を私が思っている以上に聞いているのだと実感しました。私としては言うまでもない当たり前のことを伝えていたつもりでしたが、スタッフにとっては印象的だったようで、ライトパブリシティさんにも新鮮に映ったようです。こうしたヒアリングの内容を集約して誕生したのが、「人として、人と向きあう。」というブランドメッセージです。
――2023年5月28日、同11月12日に、朝日新聞朝刊に全15段の新聞広告を掲載されました。広告媒体として、新聞を選ばれた理由を教えてください。
平松:新聞広告は、人を選ばずに一瞬で訴えかけることができると思います。全15段広告はインパクトがあるので、新聞をめくった瞬間に目に留めることができるはず。ビジュアルや広告の内容にもよりますが、「これは何だろう」と思わせる力がある。それはオンラインメディアではできないことで、忙しい人ほど、動画広告は最後まで見てもらえないような気がします。
もちろん、新聞広告を最後まで読まない人もいるかもしれません。だけど、興味を持ってくれた人にはしっかり情報を届けることが重要だと考え、長めの文章で伝えたいことはしっかり盛り込みました。全15段という大きな紙面だからこそ、できたことだと思っています。
佐藤:平松をはじめ、実際に働いている弁護士が登場する広告で、リアルを伝えようと考えました。そのリアルさが伝わる媒体はどこかと考えたとき、今、この時代だからこそ、新聞なのではないかと思いました。
――なぜ、そう思われたのですか。
佐藤:読ませるメディアであるからです。生活者調査で、法律事務所をどうやって選ぶか、という質問で一番多かったのが、家族、同僚、友人に聞くという回答でした。検索ではなかったんです。自分がトラブルを抱えているという、通常とは違う状況でもあり、信頼できる人に頼る人が多いことは理解できます。
そこで、ブランド広告は相談されやすい人に情報が届くように戦略を立てました。あえて長文にしたのも、さきほど平松も話したとおり、事務所のスタンスや弁護士をきちんと把握して理解してもらうためです。文字が小さいという声もありましたが、それも承知の上。親しい人に法律事務所のことを相談されたとしたら、自分が理解していない事務所を勧めたりしないですよね。「平松剛法律事務所だったらいいかもよ」と助言してくれる人を一人でも増やすためにも、新聞広告は、私たちの思いがきちんと届くように、中途半端な長さではなく、きちんと理解してもらえる長さにこだわりました。
そもそも、これまでも法律事務所としては広告出稿量はとても多かったと思います。それでも、わずかしか認知されていなかったのは法律事務所の広告は自分事化されにくいことも要因のひとつだと思います。ということは、いくら出稿量を増やしても変わらないということであれば、興味を持つ人だけに伝えるコミュニケーションもありかもしれないと考えました。30秒のCMはイメージを伝えることはできるかもしれませんが、深く理解するところまでは至らないはず。今回のブランド広告のシリーズは、きちんと読んでもらうことが重要なので、新聞媒体が最も適していると思いました。
――広告の内容については、具体的にどのように考えられたのでしょうか。
佐藤:目指したのは、一般的な生活者と同じ感覚を持っていることが伝わるもの。日常をテーマに、それぞれのエピソードを象徴するシーンや服装で登場してもらっています。法律のプロフェッショナルではありますが、生活者として個性が一番光る場所に焦点を当てて、弁護士の人間性を前面に押し出しています。
一番伝えたいのは、弁護士としての信念です。安心感や信頼感も、もちろん伝えたいことではありますが、それを表現するのは難しい。あくまでも受け取った方の感覚的なものでもあるので、まずはエピソードに共感してもらえる人に届くことを目標にしています。
上畠:今回、広告に登場する弁護士へのインタビューだけでなく、一緒に働いているスタッフにもその弁護士についてヒアリングをしました。ふだんはどういう方なのか、どういう印象を周りの人から持たれているかなど、ポートレートを撮影するにあたって、オフの話なども聞かせてもらいました。飲み会で楽しい人だとか電車に詳しいなど、そういう話を聞くことで、同じ事務所で働く仲間をよく知るきっかけにもなりました。
想定を大きく上回る新聞広告出稿後の効果
――広告を出稿するタイミングについては、どのように考えましたか。
佐藤:「しつこい」と思われることを避けたいので、年に2回、ピークをつくり、新聞広告のタイミングに合わせてテレビCMも展開しました。テレビCMの出稿後、TVerやYouTubeなどのデジタルメディアでも動画広告を展開しました。
――新聞広告掲載後の反響をお聞かせください。
平松:最も率直に感想を伝えてくれる妻から、「あの広告いいね」と言われ、広告の意図を特に説明しなくてもダイレクトに伝わっている様子だったので、方向性は間違っていないと確信が持てました。ブランド広告の反響は長く続くこともわかり、これまでのダイレクトに問い合わせを誘引する案件広告と比較しても、効率が良いと評価しています。
半信半疑ではありましたが、一番効果があったのは人材採用です。司法修習生の募集を強化しているのですが、以前より応募者数が増え、意欲と能力の高い方もより多く応募してくれるようになった。採用は組織力の強化に直結するところなので、とても喜ばしい結果だと思っています。
佐藤:具体的には、新聞広告を掲載した当日から、ホームページの訪問者数が想定以上に伸びました。2023年5月に新聞広告を出稿し、その後1ヶ月間テレビCMや動画広告などを展開した結果、その年の9月頃まで問い合わせが伸び続けました。
同年の1月から4月までと比較すると、これまでの70%の広告費で、問い合わせ数は60%増(160%)。ブランディング広告が後押しとなり、効率良く広告展開できるようになり、問い合わせ増加につながったと分析しています。
事前の生活者調査では、寄り添いに対するニーズがあることもわかっていました。弁護士を探していくつかの法律事務所を転々とされる方が一定数いて、最終的に行き着くのは、きちんと話を聞いてくれる事務所で、どんなに実績が素晴らしくても、話を親身になって聞いてくれない法律事務所は嫌だという声がありました。だからこそ、「人として、人と向きあう。」という私たちの強みを伝えていこうと考えたのですが、その効果がこれほどすぐ表れたことに、正直驚いています。そして、新聞広告掲載後のエピソードとして、広告が載った新聞をお持ちになって相談に訪れたお客様もいらっしゃったようです。この弁護士なら相談に乗ってくれると思われたそうで、新聞広告の反響の大きさを実感しました。
――ロゴやブランドカラーも刷新されました。
平松:ロゴは以前からありましたが、新しいブランドメッセージに合わせて新たに制作することにしました。オリジナリティがある書体ですが、インパクトが強すぎることもない。だけど、印象に残る。時間が経つと定着するという提案でしたが、たしかに徐々になじんできて、とても気に入っています。
佐藤:ロゴのデザインやブランドカラーは、何度も議論しました。「人として」という思いがうわべだけ伝わるのは良くないですし、生活者と法律事務所には壁があるので親近感を出さなければならない。しかし、親近感だけでなく、法律事務所としての強さや信念なども伝える必要もあります。引き締める意味合いからも、ブランドカラーに黒を使用することは、割と早い段階で決まりました。親しみやすさを表す色として、淡い色が選択肢として挙がっていたのですが、最終的に、黒と組み合わせて印象が残りやすい色として、黄色を採用しました。
ロゴに関しては、平松の弁護士になった経緯や事務所をつくる経緯なども踏まえてデザインされています。平松は、旧態依然とした法律事務所を進化させていきたいという信念があります。改革への思いの強さを表現しつつ、人として向き合う柔らかさが、うまく表現できたのではないかと思っています。
新聞広告はインナーブランディングにも寄与
――ブランディングは社内に浸透させることも重要です。どのように行われたのでしょうか。
佐藤 :ブランディングに取り組んだのが、当事務所の創業15周年のタイミングでもありました。そこで、15周年イベントを開催し、その場で初めてブランドメッセージやロゴの刷新を発表しました。「人として、人と向きあう。」というブランドメッセージについては、ヒアリングの過程や、スタッフからの声を集約してつくったことをプレゼンテーションしました。
タグラインと一緒に行動指針を制定しました。人とどう向き合うか。平松の思いをくみ取ってまとめたものです。ステートメントと行動指針をいつでも手に取れ目につくように、手のひらサイズの蛇腹型のツールを、社員に配布しました。インナーへの浸透がブランディングの成功であると考えていますので、これからもインナーブランディングは継続して進めていきます。
――実際、ブランディングによって変化したと感じることはありますか。
池田:私自身、この事務所で働く前は弁護士と会ったことがなく、遠い存在で、法律事務所も敷居が高いイメージがありました。しかし、実際話してみると、そんなことはなく、インタビューで弁護士一人ひとりの言葉を聞いていて、私も何か相談することがあったら、この人たちに相談したいと思うほど。日頃、スーツ姿でしか会ったことがない弁護士の普段着の姿は、とても新鮮で、親しみやすさも感じました。人となりを知ることの大切さを、ブランディングの取り組みを通してあらためて実感しています。
――今後の広告宣伝活動の展望をお聞かせください。
平松:ブランディング広告は新聞、テレビともに継続していく予定です。形態は変わるかもしれませんが、弁護士一人ひとりのリアルを伝えていくシリーズは続けていきたいと思っています。
佐藤:他の施策ですと、相談をされやすい人は、何かの分野に特化して頑張っている人である、という仮説のもと、広告・プロモーション戦略を立てています。「月刊『宣伝会議』」(宣伝会議)という専門誌が主催する、広告表現のアイデアをキャッチフレーズの形で募集する公募広告賞に課題出題企業として参加したのも、そのひとつ。「いざという時、平松剛法律事務所に相談したくなるキャッチフレーズ」というお題でアイデアを募集し、受賞作品として「法律のプロというより、人助けのプロでありたい。」という作品を選出しました。
池田:ユーザー参加型の公募キャンペーンも実施しているのですが、テーマを変えながら継続する予定です。平松剛法律事務所の取り組みやブランドメッセージに沿ったお題を出し、回答いただくという内容です。
上畠:キャリア教育の一環として、2024年6月発行予定の、小中学生の児童・生徒に向けた教材、『おしごと年鑑2024』(朝日学生新聞社)に掲載していただくことも決まっています。社会や経済の仕組みを理解し、将来の夢を育むことにつながるという内容の本で、弁護士や法律への関心を持つきっかけになったらいいなと思っています。