デザインや建築、アートなど領域を横断して活動している山崎晴太郎氏。その創造力の源泉を探ると、「一緒に遊びたい!」という熱量ある好奇心にたどりつきます。貫いているのは、誰かの評価は気にせず、自分なりの基準を大切にするという考え方。好きなことに夢中になって楽しむことが、ひいては仕事のアイデアにつながるという、山崎氏の独創的な思考や活動を紐解いていきたいと思います。
人のことを気にしない、絶対軸から生まれる余白を大事にする
──山崎さんはデザインや建築、アート、最近では情報番組でのコメンテーターなど、領域を横断して活動されています。それが実現できているのは、なぜですか。
僕は「全部、つくりたい」という思いが強く、その初期衝動は「遊ぶ」という感覚が一番近いように思います。アートディレクターを名乗っていますが、建築にも携わりたいし、アート作品もつくりたい。世の中には色々な文化があって、楽しいことがたくさんありますよね。それをつくれる人生と、つくれない人生なら、僕はつくれる人生のほうがいいと思っているので、肩書きに縛られることなく活動しています。
──それができる人とできない人の差はどこにあるのでしょうか。
人のことを気にし過ぎるのだと思います。社会での評価のほとんどは、自分以外の誰かの「相対評価」です。「相対性」が強い世の中で、誰もが生まれながらに持っている自分なりの基準、「絶対性」を取り戻せるかが鍵だと思っています。
誰に何を言われても気にせず自分の信念を貫くには、絶対性を取り戻し、心の余裕(余白)を持つことが重要です。アートディレクターの僕が、建築を手がけたり、アート作品を発表したりするたび、揶揄(やゆ)する人たちもいました。だけど、誰かの評価によって自分の気持ちにふたをして「遊べなくなる」のは絶対に嫌です。だから、誰に何を言われても気にせず、やりたいことをやろうと決めました。サッカーが大好きでチームに入ったばかりの人は、まわりの目など気にせず、たとえ下手でもリフティングの練習をしますよね。そんな一緒に「やりたい!」「遊びたい!」という感覚を大事にしています。
個人的な「面白い!」を周りと共有すると人が集まり企画が動き出す
──ものづくりでの「遊びたい!」は「制作する」という感覚ですか。
素直に好きなことで遊びたいんです。「これをやったらどうなるだろう」「見てみたい」という気持ちが強く、そのために「つくってみたい」と考えます。僕は自分がはまっていることの楽しさや面白さを、仕事の合間によく話しています。すると、個人的に楽しんでいたことと、仕事で相談されていたことが上手(うま)く合致するアイデアが生まれることがあり、実際にアウトプットになるケースもあります。
パナソニック「レッツノートRZシリーズ」の発売時に企画したキャンペーンサイトでは、異なる魅力を持つ2種類の動物が1つになった「空想動物図鑑」を制作したのですが、このアイデアが生まれたのは、当時、夢中になっていたSF漫画の話をしていた時だったりします。
レッツノートは「軽量なのに頑丈」「コンパクトなのにハイスペック」といった一見すると相反する価値を備えているのが特徴です。そこで、この価値を象徴するアイテムとして、異なる魅力を持つ動物2種を組み合わせた「空想動物」をつくることを提案しました。キャンペーンサイトは公開3日で100万PVを達成し、目的であった若年層への認知拡大に貢献できました。
──理想的なケースですね。
もちろん、提案しても実現できなかったこともあります。仕事につなげようと思って話しているわけではなく、あくまでも僕は楽しくて面白いと感じたことを、思いのままに話しているだけです。そうすると、自然と人が集まってきて、企画のヒントが生まれることがあります。校庭で1人、楽しそうに遊んでいたら、それを見ていた友だちが「何してるの?」と近づいてきて一緒に遊び始めたら、どんどん仲間が増え、気付いたらみんなで夢中に遊んでいるようなイメージです。
手を放すことで生まれる偶発性を楽しむ
──2024年1月にはビジネスパーソンにむけた書籍『余白思考 アートとデザインのプロがビジネスで大事にしている「ロジカル」を超える技術 』(以下、余白思考・日経BP)を出版されました。
この本で伝えている「余白」とは、自分と世の中の合間にある自由なスペースのこと。建築で言えば、内でもあり外でもある「縁側」や「土間」のようなものだと考えています。編集者の方と対話を重ねながら、僕が日頃考えていることや考え方に横串を刺してみたら「余白」というキーワードが立ち上がってきました。
──「余白思考」の中に「半分バトンを預ける」という考え方が紹介されています。誰かに仕事を任せるのは、意外と難しいことでもありますよね。その意義や価値について教えてください。
仕事の場面であれもこれもと指示すれば、ある程度、自分が思ったとおりに完成すると思います。しかし、自分の想像を超えたものにはなりにくい。全部自分で解決しようとせず、誰かにバトンを預けるほうが、イレギュラーな偶発性が生まれてくることがある。それが余白であり、表現の面白さにもなると思っています。チームの絆を深めることにもなりますし、僕だけではたどり着けなかったものが生まれる。バトンを預けることは、ある意味、自分を拡張するような楽しさがあります。ただ、僕自身、若い頃は仕事を抱え込み、バトンを手放せないタイプでした。
──できるようになったのは、なぜですか。
きっかけは子供です。子育てはイレギュラーなことの連続で、それを強制的に受け入れる必要があります。視点を変えてみると、学ぶことがたくさんあると思っています。子供が箸を使い始めたとき、なかなかうまく食べられず、つい「早く食べなさい」と言ってしまい、反省することがありました。その時、僕は箸が使えない感覚を思い出してみようと、利き手じゃない手で箸を持って食事をしてみることにしました。
当たり前ですが、箸がうまく使えず、食べるスピードも落ちる。豆をつかめるようになったときは「見て!豆つかめたよ」と大喜びして妻や子供に自慢しました。何かができるようになると、こんなにも嬉しく、誇りたくもなる
子供との生活を通じて、大人になってもできないことはたくさんあり、だからこそ、挑戦できる楽しいことが、まだあると再認識できました。そうした経験から、思い込みや見えない何かに制限された世界の狭さに気付き、イレギュラーを受け入れようと思うようになりました。
個人に最適化しない新聞の価値も受け入れる
──とても柔軟な考え方ですね。どうすれば、そういった気持ちを忘れずに持ち続けることができるのでしょうか。
社会の波にのみ込まれず、自分が本当にやりたいことを大事にする。それが「余白を持つ」ということではないでしょうか。人と違う価値観や、自分以外の誰かがやっていることを面白がったり、違う価値観やイレギュラーを受け入れたりするのは、余裕(余白)がないと難しいと思います。
──今は、インターネットで得られる情報もセグメントされて届くので、イレギュラーなことが起こりにくい時代と言えると思います。『余白思考』は、人生を遊び尽くすための思考法とも言えますね。
そうですね。イレギュラーなことも含め、人生のあらゆることを面白がることができたら、どんなことでも乗り越えていけるような気がします。最近、紙の新聞を再び取り始めたのですが、テレビのニュースと比べてトピックも多く、新聞でしか拾えない情報があることに驚きました。新聞をめくりながら瞬く間に情報収集ができるので、ネットより情報を得るパフォーマンスが高いと実感しています。
情報のセグメンテーションが進み過ぎると、対立構造もできやすいと思います。事実、今の時代を象徴する「誰もが知るもの」を挙げることは昔と比べて難しい。人間の共通項がなくなりつつある時代だからこそ、個人に最適化しない新聞の役割があると思います。
大規模個展でもチャレンジする 自分にしかできない「絶対性」を持った表現
──2024年8月17日(土)から9月1日(日)まで、個展「越境するアート、横断するデザイン。」が開催されます。どういった内容の個展なのですか
今回会場となる東京・青山にあるスパイラルの館長、小林裕幸さんから「山崎さんのやっていることは、全部アートだと思う」と言われたんです。僕はもともと、手がけた仕事にラベルをつけず、区別しないようにしていたので、小林さんの視点は嬉しかった。展示はデザインもアートも区別せずランダムに配置しようと思っています。どれがアートで、どれがデザインかわからない。そんな展示になる計画です。
また、小林さんからは「各作品に詩でも何でも、言葉をあててみたら」とアドバイスを頂きました。僕は言語化には苦手意識があります。言語化すると思想の曖昧さがなくなってしまうように考えています。一方で、この個展は日頃、デザインやアートを意識せず暮らしている方々に「面白い!」と気付いてもらいたい。そのためには何か分かりやすく伝えるための言葉のブリッジが必要だと考えています。チャレンジとして、絵やデザインなど形にしてきたものを、もう一度自分の中に戻し、文字として出力をしてみようと思っています。
山崎晴太郎個展「越境するアート、横断するデザイン。」は8月17日から9月1日まで、東京・青山のスパイラルガーデンで開催。
──山崎さんのような振れ幅(余白)のあるクリエイターになるためのアドバイスをお願いします。
スタッフにも伝えていますが、SNSに投稿されたビジュアルや写真ばかり見て過ごすのはやめたほうがいい。相対的な社会の中で「美しい」と言われているものがほとんどなので、それをインスピレーションのソースとしている限り、突き抜けた表現を生み出すのは難しいと思います。「絶対性」の中で何が特異で美しいか見つけ出し、自分なりの表現を見いだすのがいいと思います。
それは自分自身の生き方を肯定することにもつながり、仕事を継続する力にもなると思います。「誰かがいい」と言っているものではなく、「自分がいい」と思うものは何か考えてみる。古本屋で「これすごい!」と思う1冊を見つけるほうが、自分にしかできない表現につながると思っています。
アートディレクター/アーティスト
立教大学卒業。京都芸術大学大学院芸術修士。2008年、株式会社セイタロウデザイン設立。デザイン経営のパイオニアとして、企業経営に併走するデザイン戦略設計やデザインコンサルティングを中心にしたブランディングを中心に、グラフィック、WEB・空間・プロダクトと多様なチャネルのアートディレクションを手がける。
東京2020オリンピック・パラリンピックではクリエイティブアドバイザーを務めた。TBS「情報7daysニュースキャスター」、日本テレビ「真相報道 バンキシャ!」にコメンテーターとして出演中。