タワーレコードと続けている「NO MUSIC, NO LIFE.」キャンペーン、出身地である福島県のクリエイティブディレクター、コミュニティFM「渋谷のラジオ」設立やロックバンド「猪苗代湖ズ」の活動、東京藝術大学での教鞭など「僕にとっては全てが、対象の魅力の『広告』」と語る箭内道彦氏。
2017年度(第66回)から朝日広告賞「一般公募の部」の審査委員を務めている箭内氏に朝日広告賞に期待することや、今年新設の「デジタル連携の部」の意義、クリエーターへのメッセージなどをうかがいました。
岐路にある広告。広告アワードへの期待は大きい
──新型コロナウイルス感染症への対応やロシアのウクライナ侵攻など世界情勢が刻々と変化しています。個人の価値観も若い世代を中心にジェンダー平等への意識など大きく変わってきています。広告業界に目を移すと、インフルエンサーなど必ずしも広告表現のプロではない人の参入やステマ問題など、デジタルを中心に新たな動きが見られます。こうした様々な変化が広告に及ぼす影響について、お考えを聞かせてください。
広告はいくつもの変遷を重ねてきましたが、今は大きな岐路にさしかかっていると思います。僕は広告が大好きで、一生広告を作っていきたいし、生まれ変わっても広告を作りたい。様々に活動しているせいか、「広告はやめたんですか?」と聞かれることが多いんですけど、常に「現住所は広告です」と答えています。
だからこそ、世の中をけん引し、面白いことが最初に生まれる実験的な場所であるはずの広告が、それとは違う捉え方もされ始めていると実感していて。もっと言うと、広告に対する世の中の期待値が下がってきている。それだけに僕ら広告制作者の踏ん張りどころだと思っています。景気の低迷が続いている上、人々の関心を引く物事があふれていますから、決して簡単ではないのですが──。
最近よく考えるんです。いつから広告はモノを売ることだけが第一目的になってしまったのだろうと。一昔前は、面白い番組づくりを支えたいからスポンサーになろうとか、企業がメディアの新しい試みを応援する証しとして広告が存在していました。もちろん広告をきっかけにモノが売れるのは喜ばしいし、世界や社会の動きに呼応した一つの戦い方なのだと思います。そのような流れがある中で、果たして広告が新しい輝きを放っていけるのか。僕はこれまで声を大にして「広告は伝統技術ではない」と言い続けてきましたが、先輩たちの作り方を学んで継承していかないと、広告は絶滅する恐れさえあると感じています。
そういう意味で朝日広告賞への期待は非常に大きい。受け継がれてきた広告の作法や手法を自分なりに消化し、なおかつ誰も思いつかなかった新しい提案をしてくれる若い制作者の出現を楽しみにしています。
SNSの時代だからこそ、広告賞を活用できるチャンスはある
──広告賞の受賞は、社会で一つの「目印」になり得るのでしょうか。また、箭内さんご自身の広告賞に関するエピソードを教えてください。
僕が広告会社で働いていた頃は①広告賞で受賞すること、と②大きな仕事のプレゼンで勝つこと、この2つが次のいい仕事をつかむ手立てでした。ただ、大きな仕事のプレゼンに参加できるのはたいてい社内のエース級とその部下で、名もなき新人が下克上を果たせる舞台は唯一広告賞でした。朝日広告賞の一般公募の部は仕事に関係ないフラットな審査。勇んで賞を狙いました。結局、朝日広告賞もADC賞も空振りでしたけど(笑)。
受賞もなくスターチームにいたわけでもない僕がなぜこうして『広告朝日』のインタビューを受けているのかというと、『広告批評』など広告業界の人が目にするメディアで目立つという手法を取ったんです。つまり自分を広告することで「こいつは面白そうだから仕事を頼んでみよう」という相手を増やしていった。苦し紛れの敗者復活戦を仕掛けた先駆けだと自負しています(笑)。
今だとSNSなどを活用して自分のポジションを築くことが容易になりましたが、むしろだからこそ、朝日広告賞のように歴史があり、今なお先駆者であろうとしている賞を若い制作者は活用したらいいと思います。そして賞を主催する朝日新聞社、課題を提供する広告主は、ぜひとも受賞者に仕事を依頼してほしい。新しい才能に着目してチャンスを渡すことが、ひいては広告業界の明るい未来につながると思うので。
朝日広告賞に関わるインタビューは
特設サイトでも公開しています
カウンターやオルタナティブを唱えるには対象を知らないといけない
──新聞広告のクリエーティブについて、どのような考えをお持ちですか?
広告は時代に寄り添うものである一方で、僕自身が作る広告はカウンターでありたい、オルタナティブでありたいと思うのです。新聞記事がやらないことを広告でどう鮮やかに見せるか、既成概念にどうアンチを唱えるか、といったことです。となると、対象とする新聞を知らなければ新聞広告を作れない。僕は新聞配達少年だったので、そこは自信があります。
朝日広告賞の審査を通じて感じるのは、新聞というものを生理的に捉えきれていない若い人が増えているのかなと。新聞以外のメディアでニュースを摂取するようになっていることと関係していると思いますが、新聞のどこにどんな広告がはさまったら強いのか、新しいのか、面白いのかってことが直感できていないというか。一方で矛盾するようですが、普段あまり新聞に触れない人だからこそ意外な切り口の新聞広告を作れる可能性もあって。
──朝日広告賞の紹介文には「応募作品は時に新たな価値観を提示し、時に普遍的な美を私たちに想起させてくれます」と書かれていますが、箭内さんはコピー、グラフィック、ディレクション、どこに可能性をいちばん感じていますか?
僕の出自はデザイナーですが、言葉も好きです。東京コピーライターズクラブの副会長をしていますし。とはいえ、言葉が史上最大級にあふれている現在の世の中で人々をハッとさせるような言葉を生むのは容易じゃありません。言葉と言葉の対立や、言葉の奥にある価値観と価値観の対立を生んでしまうこともあります。
複雑な今の時代に求められているものは何か。僕はアートだと思うのです。僕が教えている東京藝術大学の学生たちによく話すことですが、ある町に壁があって、赤く塗るか黄色く塗るか、町の人の意見が真っ二つに割れたとする。これまでは多数決で多く票を集めた色に決めるのが公平とされてきたけれど、そうすると採用されなかった色を主張していた人はずっとモヤモヤが続いてしまう。その時に「水色はどうでしょう?」「そもそも壁って必要だっけ?」と、誰も気づかなかった第3の答えを提示してブレイクスルーにつなげられるのがアートやグラフィックの視点です。インクルージョンとか、ダイバーシティーとか、様々な価値観が交差する中で、賛成派も反対派も「なんか知らんけど、これだよね」と一致できる瞬間をアートは作り出すことができる。だからこの時代にいちばん可能性を感じているのはアートです。
デジタルへの期待、前例が無いことへの期待
──価値観が交差する中で、朝日広告賞に新設された「デジタル連携の部」に箭内さんが期待することについて、聞かせてください。
デジタルと非デジタルの関係において、これまでは「デジタルは脅威の黒船」という見方を旧来のメディアはしてきたと思います。「デジタル連携の部」の設立は、朝日新聞がそうした価値観から抜け出し、「デジタルとの掛け合わせで新聞広告の新しい未来を開く」と、正式に意思表明した歴史的瞬間だと捉えています。
既存の「一般公募の部」や「広告主参加の部」にも刺激を与えるでしょうし、これを機に伝統ある朝日広告賞自体がリブランディングされていくのではないでしょうか。仮に1つも応募がなかったとしても、設立自体に大きな意義があると感じています。
もう一つ楽しみにしているのは、デジタルネイティブである若い人たちが新聞広告をどう使っていくのか。朝日広告賞は影響力が大きいぶん、前年の受賞作を見て対策を練ってきたと感じる応募作が少なくないのですが、初年度となる「デジタル連携の部」は前例がないので対策の練りようがなく、そういう意味でも審査をとても楽しみにしています。
──「新聞の特性は『パブリック』『客観』、デジタルの特性は『パーソナル』『主観』」などと特長付けられることがありますが、連携のポイントはありますか?
自分がアドバイスするとしたら、無理な背伸びをせずに得意なところから入ればいいと言いますね。また、「新聞は『パブリック』『客観』、デジタルは『パーソナル』『主観』」という特性があるとするなら、そうした一般論に対してオルタナティブな提案がなされたら面白いと思います。
あとは、新しいテクノロジーにどう追いつくか、技術をどう乗りこなすか、という方向に世界中が行き過ぎているような気がしていて、それよりも自分の基準を芯にどれだけ持てるか、ということが大事ではないかと感じています。
──箭内さんが考える「デジタル×新聞広告」への視点はどのようなものになりそうですか?
「デジタルならこんなことができるんです。スゴいでしょう?」という手品の時代は終わったと思っていて、新しい技術への驚きではない、本当の意味での気づきや感動をくれるかどうか。そこがベースになっていくと思います。「デジタル連携の部」はテクノロジーやアドバタイジングの進化を後追いして評価を決めるようなアワードでなく、これからのデジタルのあり方をけん引していく広告賞になっていくと思うし、そういう気概を持って審査に臨むつもりです。もしかすると世間一般的には少数派の結果になるかもしれませんが、こういうアイデアがいつか世の中を幸せにしていくんだと、デジタルが向かうべき方向を指し示す賞になる予感がしています。
──最後に、応募を目指す方にアドバイスやメッセージをお願いします。
僕の経験に話を戻すと、博報堂に入社した1年目に朝日広告賞に応募して、絶対にグランプリを獲ると思いました。2人組で応募したのですが、共同制作者と一緒に笑いが止まらなくて。「俺たち獲っちゃうわー」って。でも蓋を開けると何の賞にも入っていなくて。でも、これがものすごく大きな宝物で。自分の作ったものを信じる強さと疑う大切さを未だに持ち続けていられるのは、朝日広告賞で箸にも棒にもかからなかった経験なのです。
どういう作品が入賞したのか、落選後はそのしみ込み方も全然違いました。若い制作者は朝日広告賞を「自分ごと」にしないともったいないと思います。特に「デジタル連携の部」は、「朝日広告賞の歴史を自分が築くんだ」というつもりで応募してほしいですね。
朝日広告賞グランプリ受賞者(社)インタビューなど
スペシャルコンテンツ公開中
佐藤雅彦さん、山本高史さん、尾形真理子さん、副田高行さん、森本千絵さんなどクリエーティブ業界で活躍している過去の受賞者を取材した「Now & Then」や元審査委員の佐藤可士和さん、小山薫堂さんへのインタビュー動画を公開しています。
クリエイティブディレクター
1964年福島県郡山市生まれ。東京藝術大学美術学部デザイン科卒業後、株式会社博報堂を経て2003年に独立し、風とロック有限会社を設立、現在に至る。
タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」、リクルート「ゼクシィ」、サントリー「ほろよい」、東京メトロなど、既存の枠に捉われない数々の話題の広告キャンペーンを長く手掛ける。 2008年から3年間MCを務めたNHK「トップランナー」を始め、NHK Eテレ「福島をずっと見ているTV」、TOKYO FM/JFN「風とロック」、ラジオ福島「風とロック CARAVAN福島」等、各番組のレギュラーパーソナリティーとしても活動。創刊100号を数えたフリーペーパー「月刊 風とロック」の発行人・編集長でもある。
東京藝術大学教授、福島県クリエイティブディレクター、渋谷のラジオ名誉局長、 ロックバンド 猪苗代湖ズ ギタリスト、風とロック芋煮会実行委員長、 LIVE福島 風とロックSUPER野馬追(2011年)実行委員長。
企画、制作、演出、撮影、出演、執筆、教鞭、作詞、作曲、MC、パーソナリティ、イベントの実行委員長、商品開発、など、領域を自在に超え、従来の概念を解体しながら、そのすべてを「広告」として、クリエイティブディレクション、ブランディング戦略を手掛ける。