『マーケティング5.0』に学ぶ、新しい時代のマーケティングと組織のあり方とは

 2022年4月、フィリップ・コトラー教授らによる『マーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』の日本語版が満を持して発売された。監訳を担当した早稲田大学の恩藏直人教授のもとには、昨年に英語版が発売されてから「日本語版はいつ出るのか」との問い合わせが多く寄せられていたという。本書は過去のシリーズを踏襲しながら、マーケターがデジタル・テクノロジーを適切に活用する戦略をどのように設計すべきかが詳細に語られている。本書から特に学ぶべき点を恩藏教授に聞いた。

テクノロジーの成熟で進む、人間とマシンの融合

――『マーケティング3.0 ソーシャル・メディア時代の新戦略』(2010年)では、製品中心の1.0、顧客中心の2.0を受けて「人間中心」という概念が提示され、『マーケティング4.0 スマートフォン時代の究極法則』(2017年)では、スマホが一般化した時代におけるマーケティング・コミュニケーションが解説されました。まず、『マーケティング5.0』に至るまでの背景を教えてください。

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恩藏 直人氏

 今回の『マーケティング5.0』では、過去のシリーズを踏まえながら、時代に合わせて進化した考え方が語られています。本書だけでも大いに役立つとは思いますが、学ぶべき内容は過去作に積み上げる形になっているので、マーケターならこれを機に過去の内容も押さえておいて欲しいと思います。
 端的にこれまでを振り返ると、『マーケティング3.0』で初めて「全人的に顧客を捉えよう」という視点が打ち出されました。単に企業と顧客との関係性だけを捉えるのではなく、企業活動は社会にどう影響するのか、顧客ではない生活者にとってどう映るのか、といったことも加味するべきだという提言です。ある意味、マーケティングに「哲学」が持ち込まれたわけで、それによって、マーケティングは一気に進化したと思います。


 ただ、2010年当時はまさにデジタル化が加速していた頃です。『マーケティング3.0』では、デジタル化を踏まえたマーケティング・コミュニケーションを十分に語ることができていませんでした。そこにフォーカスしたのが2017年の『マーケティング4.0』です。購買のステップを、いわゆるファネルで考えるのではなく、さまざまなカスタマージャーニーとして捉えようとする枠組みが登場しました。
 その上で本書では、テクノロジーが成熟した今だからこそ、テクノロジーを活用してさまざまな顧客接点でどう価値を生み出せるかが語られています。本文に「人間を模倣した技術」という言葉が出てきますが、たとえばAIによる予測マーケティングは、マーケターがかつて勘と経験で担ってきた部分を代替するといえます。

――そう捉えると、たしかに「人間を模倣した技術」が増えているのだと分かります。それらを使いこなすには、どうしたらよいのでしょうか。

 テクノロジーが成熟した時代に企業はどうすべきか、本書の本質ともいえるその回答は、「マーケティング5.0の五つの構成要素」に集約されていると思います(図)。時代の移り変わりや生活者の変化、個別の技術についてもかなり詳細に章立てて語られていますが、本書は技術の紹介本ではありません。考えるべきは、図中の構成要素を自社にどう落とし込むかという点です。
 この5つは並列ではありません。まずデータドリブン・マーケティングの徹底が大前提となっています。新しいマーケティングに、データ活用は不可欠だからです。その上で、拡張マーケティング、予測マーケティング、コンテクスチュアル・マーケティングを自社の課題や状況に応じて取り込み、実践していく。しかも、これらの実践をアジャイルに進めていかなければならない。
実践の過程で、組織やプロセスをどのようにすればより迅速かつ効率的になるかが見えてくるので、それを推進するのがアジャイル・マーケティングの実現だと言えます。

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マーケティング5.0 五つの構成要素
※朝日新聞出版『コトラーのマーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』(フィリップ・コトラー、ヘルマワン・カルタジャヤ、イワン・セティアワン著、恩藏直人監訳、藤井清美訳)より

「マーケティングの5つの要素」を自社に実装するとどうなるか

――データドリブン・マーケティングを前提に、自社の課題や状況に応じて他の要素を取り入れる……とは、具体的にどういったことでしょうか。

 私の知る例ですと、あるプロスポーツチームの近年のマーケティング活動が、まさに「マーケティング5.0」の実践だと読み解けます。
 プロスポーツのチームにとって、どれだけ熱いファンを増やせるかは大きなテーマです。実際に試合を見に来てくれる観客の数を維持・向上するのはもちろんですが、その中でリピーターにはロイヤルティを高めてもらいたい。また、スタジアムで観戦したことがない人には、足を運んでもらう新規獲得も重視しなければいけません。
 プロスポーツの世界では、ビジネス領域に比べればデータ活用が盛んではありませんが、そのチームでは「顧客データ」に着目したそうです。ファンクラブの属性データやグッズの購買データなど、それまでに取得していたデータを一元管理して、どのような顧客がいつ観戦し、何を購入したかなどを可視化しました。そうして、狙うべきターゲットを明確化し、一人ひとりに合ったコミュニケーションを展開したのです。
 また、既存顧客を分析し、何を楽しみに観戦しているのかを明確化しました。そうすると、試合そのものを目的とするだけでなく、友人らと飲みに行くような感覚で訪れる人も一定数いることが分かってきた。そこで、ターゲットに合わせた観客席を用意するなどの価値創造も進めて、新規顧客を増やしていきました。

『マーケティング5.0 デジタル・テクノロジー時代の革新戦略』(朝日新聞出版)

――組織において、まずデータドリブンを徹底したのですね。

 そうですね。その上で、顧客の状況を踏まえながらアプローチした点は、『マーケティング5.0』が主張する予測マーケティングやコンテクスチュアル・マーケティングだと言えます。
 組織運営の部分までは詳しく存じ上げないのですが、こうしたデータドリブンの活動で成果を上げるには迅速な対応がひとつの肝になりますから、おそらく組織もアジャイルに対応できるように変えていったはずです。
 皆さんの企業が『マーケティング5.0』を導入する際、データドリブンの姿勢と実践は必須だとして、それ以降は「予測」「コンテクスチュアル」「拡張」などにおける取り入れやすい仕組みを起点に、自社に合った5.0を模索することが欠かせないと思います。

進化し続けるマーケティングの最先端を知る

――「マーケティング5.0」を実践するためには、組織はアジャイルでないと難しそうです。

 そうかもしれません。ただ、それほど難しい話ではないと思います。自社のビジネスにおいて、起点から最終的に顧客が価値を受け取るまでを棚卸しして、どのプロセスを効率化できるか、またはどうなれば価値の増幅につながるかを考えてみる。たとえば、川上から川下までのある地点で顧客の声を取り入れ、迅速に反映していこうとすると、おのずと動き方や体制がどうあるべきかは見えてくるはずです。
 今、私が取り組んでいる研究トピックのひとつにロボットの活用があります。お掃除ロボットや配膳ロボットなどによってスタッフの手が空き、より人間ならではのハイタッチな接客ができるようになった例が増えています。焼肉店チェーンでお客さんに焼き方を教えられるようになった、結婚式場で顧客との対話の時間が増えたなど、ハイタッチな接客によって顧客による店舗への愛着が高まり、客単価のアップにもつながります。まさにマシンとの融合で、付加価値が生まれているわけです。
 全部とは言いませんが、基本的には顧客接点にまずテクノロジーを導入する。対応できるところはマシンが対応し、ハイコンテクストな領域になれば、人間がバトンタッチする。そうした、マシンと人間のベストなハイブリッドを構築することで、より「自社ならでは」の効果的な顧客体験を創出できるだろうと思います。

――6月28日には日本マーケティング協会でセミナー「コトラーの『マーケティング5.0』が未来を変える」が開催されます。セミナーに参加を検討される方へのメッセージをお願いします。

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 やはり、「新しいマーケティングを知ってください」とお伝えしたいです。マーケティングの領域は、常に進化しています。私も長くこの領域で研究し、論文などを通してその進化をキャッチアップしていますが、本書のように時代を的確に捉えた提言には注目しています。
 若い方はもちろんのこと、特に組織においてマネジャー以上の方には、この新しい考え方の大枠をつかんでいただきたい。細分化しているテクノロジーの先端領域は若手やプロフェッショナルに任せて、マネジャー以上の方は彼らを理解し、彼らとチームを組めばいい。本書の内容が、これからの時代の顧客に向き合うマーケティングの一助になればと思います。

『コトラーのマーケティング5.0』出版記念セミナー コトラーの「マーケティング5.0」が未来を変える

日時:2022年6月28日(火)14:00~16:00
会場:日本マーケティング協会 アカデミーホール/オンライン(Zoom)ハイブリッド開催
主催:公益社団法人 日本マーケティング協会
協力:トランスコスモス株式会社、朝日新聞社総合プロデュース本部

お申し込み・詳細はこちら https://www.jma2-jp.org/event/seminar/220628

恩藏 直人(おんぞう・なおと)

早稲田大学 常任理事/商学部教授


1982年早稲田大学商学部卒業後、同大学大学院商学研究科を経て、1996年より教授。商学学術院長、商学部長、入学センター長など歴任。2013年から理事、広報室長。専門はマーケティング戦略。主な著書『コトラー、アームストロング、恩藏のマーケティング原理』(共著、丸善出版)、『マーケティングに強くなる』(ちくま新書)、監修には『コトラーのマーケティング入門』(丸善出版)など。